アキレスと亀

2008/09/02 京橋テアトル試写室
売れない芸術家と彼を支える妻の狂気じみた生活。
北野武が直球勝負で描くホームドラマ。by K. Hattori

北野武監督作品「アキレスと亀」オリジナル・サウンドトラック  北野武監督14本目の監督作は、売れない芸術家と彼を支える妻の狂気じみた生活を描いたホームドラマ。物語は主人公の少年時代から始まり、青年時代を経て、中年となった現在に至るというシンプルな構成。少年時代、青年時代、中年時代をそれぞれ別の俳優が演じるが、中年時代を演じているのは監督でもある北野武(ビートたけし)本人。少年時代を色褪せたセピア調の画面でまとめたり、状況設定や役回りを登場人物の台詞で説明するなど、いつもの言葉少ない北野映画とは打って変わった、通俗的でわかりやすい作りになっている。

 映画の作りはわかりやすいが、映画自体は一筋縄ではいかない。それはこの映画が「芸術家の狂気」を描いているからだ。タイトルの『アキレスと亀』というのは有名なゼノンのパラドックスで、足の遅い亀の歩みに俊足のアキレスが決して追いつけないという矛盾を扱っている。映画の中ではこれが、いかにあがこうと決して売れることのない芸術家の苦悩に置き換えられているようでもあり、夫の才能を信じて付いていこうとする妻が乗り越えられない最後の一線を描いているようにも解釈できる。おそらく作り手である北野監督の正直な気持ちとしては、前者への思い入れが強いのだろう。しかし映画のメッセージとしては後者に比重を置いて、普遍的な人間関係のドラマに仕立てようというたくらみに違いない。

 それにしても、この映画の何という恐ろしさ。世の中に芸術家の生涯を描いた映画は多いが、芸術の底知れぬ不可解さと狂気を描いた作品はこれまでになかったかもしれない。幼い頃から画家になるべく育てられ、本人もすっかりその気のまま大人になった主人公・倉持真知寿の悲劇は、彼に「才能がない」ことではない。彼に才能があるかどうかなど、そもそも誰にもわからないのだ。彼の悲劇は「売れない」ことに尽きる。現代美術の世界は、そもそも個々の芸術家が持つ才能や技能を超えたところに成立している。真知寿は現代美術の迷宮に迷い込み、出口を探し求めてもがき続ける。そのもがきぶりは滑稽で狂気じみてさえいるのだが、これは芸術というもの自体が巨大な不合理だからに他ならない。芸術家が芸術家として社会に居場所を見つけるためには、何よりもまず売れなければならない。だが売れるためにはどうすればいいか、そのことを知る人は誰もいないのだ。正解のない答えを求めて、真知寿は死にものぐるいで創作に没頭する。全身全霊をかけたその行動は、やがて狂気じみていく。真知寿は芸術という狂気に飲み込まれていく。

 映画は最後の脱出口を「夫婦愛」に求めているようにも見えるが、この夫婦が狂気の生活から抜け出せるかどうかはわからない。蹴飛ばした空き缶が夫婦の足もとにまとわりつくように、芸術の狂気は今後も夫婦を捕らえて離さないのではないだろうか。

9月20日公開 テアトル新宿ほか全国ロードショー
配給:東京テアトル、オフィス北野
2008年|1時間59分|日本|カラー|ヴィスタビジョンサイズ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:アキレスと亀
サントラCD:アキレスと亀
関連DVD:北野武監督
関連DVD:樋口可南子
関連DVD:柳憂怜 (柳ユーレイ)
関連DVD:麻生久美子
ホームページ
ホームページへ