未来を写した子どもたち

2008/09/02 ショーゲート試写室
イギリス人の女性写真家がインドの売春窟で出会った子供たち。
アカデミー最優秀ドキュメンタリー賞受賞作。by K. Hattori

Born Into Brothels  2005年の第77回アカデミー賞で、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品だ。同じ年のアカデミー賞ではクリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』が作品賞を受賞し、ジェイミー・フォックスが『Ray/レイ』で主演男優賞、『エターナル・サンシャイン』が脚本賞を受賞している。そう考えると、これはずいぶんと前の映画に思えてしまう。たとえアカデミー賞を受賞しても、地味な作品は日本公開されることなく忘れ去られてしまう。そんな中で、あえてこの作品を買い付けて日本公開しようと考えた配給会社は偉い。

 ドキュメンタリー映画はニュース報道ではない。もしドキュメンタリーがニュース報道のひとつの形式だとしたら、4年前に作られたこんな映画には何も価値がないことになってしまう。この映画が撮影されているのは、それよりさらに前の2001年頃だ。そこに記録されている出来事は、今ではとても「ニュース」とは呼べない。映画の中でカルカッタの子供たちに写真を教えていたザナ・ブリスキは、今ではインドを離れてニューヨークに移っているという。登場している子供たちの中には、今では成人している者もいるだろう。この映画は「今」を描いていない。この映画を観ても、カルカッタの売春窟に生まれ育った子供たちの「今」はわからない。これはニュース報道ではないからだ。

 しかしドキュメンタリー映画は、そもそもニュースではないのだ。だからこそ、ドキュメンタリー映画の父と呼ばれるロバート・フラハティの作品は今でも十分に映画としての魅力を保っているし、ヴァルター・ルットマンやジガ・ヴェルトフの作品が映画としての面白さを失ってしまうこともないのだ。ドキュメンタリーはドラマだ。ただし現実の素材を通して、観る者に作り手のメッセージを伝えようとするドラマだ。そのドラマ性は、素材が作り物ではないだけにリアルであり、本物の持つ迫真性がドラマをより一層ドラマチックにすることもある。この映画もそれは同じだ。特に印象に残るのは、子供たちが暮らしている劣悪な環境の生々しい姿と、その中でも失われることのない子供たちの目の輝き。

 彼らは自分たちの置かれている立場に対して無知ではない。むしろ外部の者たちが考える以上に、自分たちの置かれている環境をシビアに見つめている。彼らに写真を教える外国人写真家のザナの方が、かえって子供たちの姿におろおろと狼狽しているようにさえ見える。子供たちはザナに何も期待していない。しかしザナは、子供たちに何かをしてやりたいと思う。

 人と人が出会うことで、その人たちの運命が大きく変わっていく。そんな映画的ドラマの典型が、この映画の中にもある。写真の才能を見込まれて海外に招待された少年が、パスポートを取得した瞬間に見せる笑顔こそ、この映画のクライマックスだ。

(原題:Born Into Brothels: Calcutta's Red Light Kids)

晩秋公開予定 シネスイッチ銀座
配給:アット エンタテインメント
2004年|1時間25分|アメリカ|カラー|ヴィスタ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.mirai-kodomo.net/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:未来を写した子どもたち
DVD (Amazon.com):Born into Brothels
関連書籍:Born Into Brothels
サントラCD:未来を写した子どもたち
サントラCD:Born into Brothels
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