象の背中

2007/10/10 松竹試写室
ガンで余命半年と宣告された男が望んだ残りの人生とは。
黒澤明の名作『生きる』の現代版。by K. Hattori

 「後、七十五日しか生きられない男。」

 黒澤明の傑作『生きる』は、そんな1枚のメモから始まったという。自分があと75日しか生きられないと知ったら、人は残りの時間に何をして過ごすだろうか? そこから脚本家たちは、主人公の職業を決め、エピソードを組み立て、ガンで余命わずかな市役所の役人が、小公園の建設に取り組むという物語が生まれたのだ。それから半世紀以上を経て作られた『象の背中』は、21世紀バージョンにリメイクされた『生きる』だ。主人公は肺ガンで余命半年を宣告される。『生きる』の主人公が作ったのは小公園だが、『象の背中』の主人公が作るのは大型マンション。『生きる』のテーマ曲は中山晋平作曲の「ゴンドラの唄」で、『象の背中』で使われるのは山田耕筰の「この道」だ。だがこのふたつの映画が描く主人公の人生は、ネガとポジのように正反対にも見える。

 『象の背中』は『生きる』と同じような発想から物語を出発させながら、設定や展開はすべて『生きる』とは正反対のことを選択していく。『生きる』の主人公は地方官僚で、男やもめで、女遊びもせず、酒もタバコも飲まず、息子には自分の病気を告げられないまま、兄にも何も打ち明けず、ただひたすら仕事に打ち込み、仕事の完成を目にして死ぬ。『象の背中』の主人公は大手ゼネコンの部長という民間人であり、妻とふたりの子供がいて、若い愛人もおり、酒も飲むし、タバコはヘビースモーカー、家族の中で最初に息子に病気を告げ、兄にも病気のことを話、仕事は途中で取り上げられ、仕事の完成を見ないまま死ぬ。『生きる』の主人公が病気になるまで仕事に身が入らなかったのに対して、『象の背中』の主人公はバリバリ仕事をこなすエリート・サラリーマンだったという違いもある。

 映画『生きる』に死を前にした人間の理想像を見出す人は多いのだが、この『象の背中』を観て主人公の姿に理想を見出す人は多いと思う。生き方は極端に正反対なのに、そのどちらもが人が生きる上での理想になり得るという不思議。昭和27年には『生きる』のような仕事一途の生き方が賞賛の対象になり得たが、平成19年の現在では家族や愛人や友人など、人間関係を中心にした生き方を人が求めているのだろうか。それとも『生きる』の描く世界は建前ばかりのきれい事で、『象の背中』の方が本当の本音ということなのだろうか。

 自分の個人的な欲望を切り捨てた『生きる』のような生き方にせよ、自分の欲望を丸ごと肯定する『象の背中』のような生き方にせよ、「理想的な生き方」というのは何かと大変なことらしい。普通の人間は、たぶんここまで極端な生を貫けないだろう。おそらく僕なら自分の選択を貫き通すほどの強靱な意志もなく、自分の欲望を丸出しにする図々しさも発揮できず、最後の最後まで周囲に遠慮しいしい、セコくて地味な死を迎えるような気がするのだ。

10月27日公開予定 丸の内ピカデリーほか全国松竹東急系
配給:松竹
2007年|2時間4分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.zo-nosenaka.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:象の背中
サントラCD:象の背中
主題歌CD:最期の川(CHEMISTRY)
原作:象の背中(秋元康)
関連DVD:井坂聡監督
関連DVD:役所広司
関連DVD:今井美樹
関連DVD:井川遥
関連DVD:塩谷瞬
関連DVD:南沢奈央
ホームページ
ホームページへ