三池崇史監督・脚本による(脚本はNAKA雅MURAとの共作)、スタイリッシュで荒唐無稽な和製マカロニ・ウエスタン。マカロニ・ウエスタンというのは1960年代から70年代にかけて、イタリアやスペインで量産された西部劇のこと。その特徴を簡単にまとめるなら、過激なアクションと強烈なキャラクターにつきる。わずかな期間の間に数百本のマカロニ映画が作られたため、そこでは常識外れの荒唐無稽な設定と相互のパクリが何でもまかり通るようになった。この『ジャンゴ』は、「面白ければ何でもアリ!」というマカロニ・ウエスタンの精神を正しく継承したアクション大作である。
物語の舞台は源氏と平家の戦いから数百年後の日本のどこからしいが、登場人物が全員英語でしゃべるという設定からしてもはや普通ではない。映画の導入部ではクエンティン・タランティーノと香取慎吾が、ホリゾントの塗りあとも生々しいスタジオセットで銃撃戦を演じる無茶苦茶さ。物語はひとつの村に敵対するふたつの暴力組織(源氏と平家)があり、そこに流れ者の男がやってきてふたつの組織を壊滅させるという、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(原作は黒澤明の『用心棒』だけど)をパクったもの。いやこの場合、この設定自体がマカロニ・ウエスタンというジャンルや、その元祖である『荒野の用心棒』、あるいは黒澤明の『用心棒』へのオマージュと言うべきか。黒澤の『用心棒』のラストは拳銃と刀の対決だったが、本作『ジャンゴ』の最後もまた拳銃と刀の対決になっているのがその証拠だ。
セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の三部作や、セルジオ・コルブッチの『続・荒野の用心棒』『殺しが静かにやってくる』など、マカロニ・ウエスタンの古典的名作を観ておけば、本作がそれらからいかに多くのシーンやアイデアをパクって……、いや、引用しているかがよくわかると思う。そこにあるのは、世界中の映画ファンを楽しませ続けたマカロニ・ウエスタンへの惜しみない愛なのだ。(僕は映画について語るとき、あまり「愛」なんて言葉を出さない主義なんだけど、この映画については「愛」という言葉を出すしかあるまい。)
この映画と似たテイストの映画を、僕は最近観ている。それはタランティーノとロバート・ロドリゲスが監督した『グラインドハウス』だ。60年代から70年代に量産された低予算B級アクションのパスティーシュである『グラインドハウス』と、それと時代的に重なり合うようにして量産されていたマカロニ・ウエスタンのパスティーシュである『ジャンゴ』の類似性。奇しくも『グラインドハウス』の2本と『ジャンゴ』には、すべてタランティーノが俳優として出演していたりもする。『ジャンゴ』をアメリカに売る際は、タランティーノのブランドで売ればいい。