ドッグ・バイト・ドッグ

2007/06/13 Togen虎ノ門試写室
エディソン・チャンとサム・リー主演のバイオレンス映画。
野獣のような殺し屋の造形に鳥肌。by K. Hattori

 殺し屋と、それを追う警察の話だ。殺し屋は海の向こうからやってくる。そいつは言葉さえろくに喋れない。だが行動は素早い。手渡された写真だけを手がかりにターゲットに接近し、表情ひとつ変えることなく標的に拳銃の弾をぶち込む。まずは1発。そしてとどめに2発。これで仕事は終了。あとは現場から速やかに立ち去って、再び海を渡ってしまえばそれでおしまい。それが当初の筋書きだった。だが物事は得てして、そうは問屋が卸さないものなのだ。逃走を手引きするはずの車は、警察の動きを察知して殺し屋を見捨てる。警察に追われる殺し屋は、生き延びるために必死の逃走。その先々で、次々に死体の山を築いていく。

 エディソン・チャンとサム・リー主演なので、5年前ならこれはアイドル映画になっただろう。だがふたりとも今は、香港の中堅俳優。この映画に、アイドル映画のノリは少しもない。とりあえずエディソン・チャン演じる殺し屋が香港を脱出するまでは、映画全体からぴりぴりとした緊張感が常に伝わってくるのが心地よい。ただし物語の舞台が香港を離れた終盤は、木に竹を接いだような不自然さ。人間性を微塵も感じさせなかった殺し屋のパンが突然普通の人間になってしまうのは、エディソン・チャンがこれまで演じてきた好青年的な役柄に期待する観客への迎合だろうか?

 「生き延びるために、父を殺せ!」というのが、この映画のひとつのモチーフになっている。だがこれはモチーフ(素材)にとどまって、テーマ(主題)にまでは発展していない。「父殺し」というモチーフは、サム・リー扮する若い刑事ワイの苦悩と、父親に犯されている少女ユウの行為との間に密接なつながりを生み出している。しかしワイとユウは物語の中で「父殺し」の罪を共有することはないし、物語の推進役であるパンが自らの「父殺し」について語ることもない。映画が「父殺し」をテーマに発展させるためには、ワイの「父殺し」と、その鏡像としてのパンの「父殺し」が描かれる必要があったはずだ。この「父殺し」は実の父を殺すことでなくてもいい。パンが闘技場を仕切るボス(パンにとっては自分を拾って育ててくれた父親代わり)に反逆するという形でもよかった。でもこの映画は、それもしていない。パンが父を殺すことなく、自らが父になりたがることで、この映画が途中まで掲げていた「父殺し」というモチーフはテーマになる道筋を完全にふさがれてしまった。

 映画の随所に出てくるバイオレンス描写には見応えがある。作り手がどれだけ意識しているかどうかは謎だが、この暴力描写は北野武の影響を受けたものだ。刑事が取り調べ相手を何度も容赦なく平手打ちするシーンや、突然銃が発砲されて現場にたまたま居合わせた無関係な人間が犠牲になるというのは、『その男、凶暴につき』にあった描写。北野武以降のリアルな暴力が観たければ、この映画を観ればいい。

(原題:狗咬狗 Dog Bite Dog)

8月11日公開予定 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
配給:アートポート
2006年|1時間48分|日本、香港|カラー
関連ホームページ:http://www.artport.co.jp/
DVD:ドッグ・バイト・ドッグ
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