ジェイムズ聖地(エルサレム)へ行く

2007/04/25 TCC試写室
イスラエルにやってきたアフリカ人青年の冒険譚。
ヨセフ物語めいた現代の寓話。by K. Hattori

 アフリカの小さな村で教会の次期牧師に任命されたジェイムズは、「牧師になる前にぜひ一度聖地を見ておきたい」との思いからひとりエルサレムを訪れる。だが空港の入国手続きのミスで、彼は不法入国者扱い。空港の留置場に他の「不法移民」と共に収容されてしまう。やがて彼は、保釈金を立て替えた男に連れられて移民労働者を集めたタコ部屋へ。保釈金はそのままジェイムズの借金。それを働いて返すまで、ジェイムズに自由はないのだ。命じられるままに働くジェイムズは、やがて資本主義社会で生き抜くルールを身につけていく……。

 イスラエルの若い監督が作った、皮肉と寓意に満ちたコメディ映画。偶然奴隷に売られることになった男が周囲の信頼を勝ち取りながら出世していくという物語は、旧約聖書の創世記にあるヨセフ物語を連想させもする。ヨセフは腹違いの兄たちに疎まれてエジプトに奴隷として売られ、そこから一度は囚人にまで身を落とすが、持ち前の才能を生かして最後はエジプトの宰相にまで出世した人物だ。この映画のジェイムズも外国から大都会に来て捕らえられ、奴隷同然の身から大物へと大出世していく。しかし彼は社会的ステイタスの上昇と同時に、それまで持っていた純粋さを失っていく。きらきら光る目で聖地巡礼の夢を語っていた少年っぽい青年は、資本主義の垢にまみれて薄汚れていってしまう。このあたりの描き方は、きわめて図式的。でもその図式的なキャラクター造形があればこそ、この映画は「寓話」になり得ている。

 監督のラアナン・アレキサンドロヴィッチは、ナイジェリアから不法移民しているジェイムズという中年の男に出会ったことがきっかけで、この映画を考えついたのだという。イスラエルで生まれ育った監督が自分自身の生まれ故郷を、あえて外国人の視点で描いているというのがこの映画のミソ。たぶん「エルサレム」という街は、そこで生まれ育った人にとっては世界のどこにでもあるありふれた都市のひとつに過ぎないのだ。だがそこは、世界史の中でも、世界の宗教地図の中でもかなり特殊な街だ。その特殊性は、そこで元々暮らしている人にはわからない。遠く離れた土地から、聖地エルサレムに格別の思い入れを抱いてやってくる異邦人の視点から、都市の客観的な姿が見えてくることもある。ツーリストだけが知っている、都市の隠れた素顔というものがあるのだ。

 映画には「フライヤ」という言葉が頻繁に出てくる。フライヤとは、簡単に他人に瞞されて搾取されてしまう人間のこと。「負け犬」にもちょっと似ているけれど、対立概念として「勝ち犬」に該当する言葉があるわけじゃない。トランプのババ抜きでカードに1枚混じっているジョーカーみたいなもの。誰かが他人にババをつかませ、自分はさっさと勝ち抜ける。最後までババをつかんでいた人間が、つまりはフライヤということなのかもしれない。

(原題:Massa'ot James Be'eretz Hakodesh)

6月23日公開予定 UPLINK X
配給:ラウンドテーブルシネマ、アップリンク
2003年|1時間27分|イスラエル|カラー|1.78:1|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.roundtablecinema.com/
関連DVD:ジェイムズ聖地(エルサレム)へ行く
DVD:James Journey to Jerusalem
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