古代中国で「兼愛」と「非攻」を説いた、墨家という思想集団がある。中国生まれの思想集団といえば、孔子を祖とする儒家、韓非子の流れをくむ法家、老子や荘子を祖とする道家などが有名だが、墨家もそうした思想集団のひとつだった。一時は儒家と強力なライバル関係にあったことは、「孟子」にも盛んに墨家の思想が紹介され、批判されていることからもよくわかる。しかし一時は大勢力であったと思われるこの墨家集団は、ある時を境にしてぷっつりと歴史の中から姿を消してしまう。映画『墨攻』はこの謎めいた墨家集団の姿を、歴史の中に再現してみようとする歴史アクションドラマだ。
舞台は紀元前370年頃の中国。大国である趙(ちょう)と燕(えん)にはさまれた小国・梁(りょう)は、燕攻略のため動き出した趙の大軍の前に、城を明け渡して降伏するか、徹底抗戦するかの選択を迫られていた。頼みの綱は、梁王が墨家に送った救援の依頼状だ。大国の前に小国が蹂躙されようとするとき、墨家は無償で援軍を送って小国の防備任務に就くという。だが現れたのは革離という男ひとりだった。
映画の前半は、隔離が自分の才覚や采配だけでいかにして10万人の軍団を撃退するかだ。導入部に少し駆け足の部分が見られるが、この前半はわりと面白く観ることが出来る。しかし一度趙の軍勢が引き上げた後、映画は別の段階に突入する。革離に城内の全権を委ねていた王が革離を追放し、革離と親しくなった人々を粛正し始めるのだ。それまで仲間だった人たちが、拷問されたり、追放されたり、処刑されたりする。これは観ていて辛い。
だがこの後半部分こそが、この映画の中心なのだろう。能力のある者、人望のある者、正直な者、誠実であろうとする者が滅ぼされ、あとには日和見の政治家だけが生き残る。だが一体なぜ、この映画はかくも暗い後半部を用意しているのか。おそらくそこには、この映画を作った人々の現実に対する不信が反映しているのだと思う。『墨攻』の時代と現代とは、2400年近い時間的な隔たりがある。しかしこの遠く隔たった時代は、「正直者が馬鹿を見る」という社会の残酷な現実によって結びつけられるのだ。「正義は勝つ」は現代社会において現実とはならない。映画の中でそれを観るのは気分がいいが、それでは映画がただの絵空事になってしまう。この時代劇ファンタジーを現実のものにするには、現実と同じように、正直で一途な革離に不遇な目に遭ってもらわねばならぬ。それがこの映画の作り手たちにとっての「リアリズム」だったのかもしれない。
日本のコミックを、中国と香港に加え韓国の俳優を出演させて実写映画化した大作。趙の将軍を演じたアン・ソンギが、エリート街道をまっしぐらにたどってきた男の挫折を渋く演じているのがいい。アンディ・ラウも貫禄負けしているのではないだろうか。狡猾で冷酷な梁王を演じたワン・チーウェンも記憶に残る。
(原題:墨攻)
DVD:墨攻
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