手紙

2006/10/24 GAGA試写室
犯罪“加害者”の家族が抱える苦悩とは……。
脚本がよく書けている。泣いた! by K. Hattori

 東野圭吾の同名小説を、テレビドラマの演出家として活躍している生野慈朗が映画化。強盗殺人で無期懲役の刑に服している兄と、犯罪者の家族として肩身の狭い生活を強いられる弟の物語。主人公・武島直貴は幼いころに両親を亡くし、親代わりとなった兄・剛志とふたりで寄り添うように生きてきた。兄は働いて弟の学費を稼ぎ、弟はその期待に応えて大学進学を目指す。だが体を壊した兄は弟の学費ほしさに民家に盗みに入り、帰宅した老婆を殺してしまうのだ。直樹は大学進学をあきらめて働き始めるが、殺人犯の弟に対する世間の風当たりは強い。住んでいるアパートを追い出され、職場も転々とする直貴。だがそんな彼のもとに、刑務所の兄からは定期的に手紙が届くのだった……。

 優れた映画が常にそうであるように、この映画にも語るべきさまざまな要素が詰まっている。罪と償いの問題、家族や人間同士の絆は、この映画の大きな柱となるテーマだろう。しかしこの映画はもうひとつ、現代社会で当たり前だと思われている存在を静かに批判している。それは「人権」だ。あらゆる個人は、自分自身の幸福な生活を求める権利を有する。他者の人権を侵害することは許されず、差別などもってのほか……。だが本当にそうなのか?

 「犯罪者の家族への差別は当然なんだ」とこの映画は言い切る。実際には映画に登場する家電量販店の会長の言葉だが、その言葉には大きな説得力があるはずだ。人は誰でも、できれば犯罪と無縁に暮らしたいと願っている。だから犯罪者の家族という犯罪に近い立場の人間を遠ざけようとするのは、人間が持つ自然な防衛本能だ……。会長の言葉はここから「差別のない場所を探すんじゃなく、君は今ここから始めるんだ!」という力強い励ましの言葉へと続いていくのだが、何でもかんでも人権人権と言い募る現代の日本で、「差別は当然」と言い切ってしまうこの場面にはインパクトがある。

 直貴が兄と縁を切り、自分ひとりの幸福を追求しようとするエピソードも含めて、この映画は「個人の幸福の追求」という人権主義を相対化し、批判しているように思う。少なくとも人権は、人間のあらゆる悩みを解決する万能薬や特効薬ではないのだ。

 映画の中には最初から最後までやたらと食べ物が登場し、それがいちいち効果的な役目を果たしていることに感心させられる。甘栗、菓子パン、ウサギの形に切ったリンゴ、オリーブオイルを付けて食べるパン、お好み焼き……。中でもシーンの演出に抜群の効果を生み出しているのは、会長との会話シーンに登場するミカン。会長が差し出すミカンはこの場面で、会長の思いやりや優しさの象徴。しかし直貴はミカンを受け取りながらも、それを食べることはできない。主人公の感情のこわばりが、いまだ解けていないのだ。恋人の作ったスパゲティがテーブルの上でそのまま冷めていくシーンに、かき氷の話を対比させるのもいい。

11月3日公開予定 サロンパスルーブル丸の内ほか全国松竹東急系
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
2006年|2時間1分|日本|カラー|アメリカンビスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.tegami-movie.jp/
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