待合室

2006/08/30 メディアボックス試写室
北国の小さな駅の待合室にある「命のノート」の物語。
富司純子と寺島しのぶ。母子初共演。by K. Hattori

 平成14年12月1日。東北新幹線の盛岡〜八戸間の開業に伴って、同区間の在来線はJR東日本から分離して第三セクターの地域鉄道会社となった。そのうち岩手県部分の盛岡〜目時間を運行しているのが、IGRいわて銀河鉄道だ。(目時〜八戸間は青い森鉄道が運行している。)この映画の舞台になっている小繋駅は、JR東北新幹線の乗換駅、いわて沼宮内と二戸のちょうど中間あたりにある。快速列車は停まらない。各停のローカル列車が1時間に1本停まる。この駅の待合室に、列車待ちの旅人たちが思い出や悩みを記した「命のノート」が置かれている。管理しているのは駅前で酒屋を営む立花和子さんだ。映画『待合室』は彼女と「命のノート」をモデルにした物語だ。

 撮影は実際に小繋駅で行われ、立花さんが営む酒屋もそのまま映画の中でヒロインの店として登場する。立花さんをモデルにしたヒロイン和代を演じるのは富司純子。その若いころを演じるのは寺島しのぶ。ふたり一役で初の親子共演となった。監督は脚本家出身の板倉真琴で、これが監督デビュー作。新聞記事で小繋駅の「命のノート」の存在を知ったのが、この映画誕生のきっかけだったという。

 現地での撮影にこだわった映像は、確実にそれだけの効果を映画の中に生み出している。映画の冒頭で、小繋駅のホームを通過の列車が通りすぎていく場面。降り積もった細かい雪が、通過列車の作る小さなつむじ風の中でフワフワと舞い渦を巻く。凍てつく駅構内で話をしている人の口や鼻から吐き出された息は、その場で凍りついて白くなる。山間の村の、四季折々の風景。川の流れの冷たさ。ガラスのように澄みきった空気と、どこまでも高い空。映画の中に切り取られているこれらの風景が、この物語を成立させ得る最高の舞台装置になっているのは間違いない。

 しかし僕はこの映画を観て、そこに「きれいごと」しか感じられないのだ。その原因は「命のノート」にまつわるエピソードが、ヒロインと旅人たちの間で共有される個人的交流の物語の中に閉じてしまって、その外側にある地域社会の物語に結びつかないからではないだろうか。「命のノート」は人々が大切に守っている何かのメタファーなのだ。だがそれが何なのか、映画を観ていてもよくわからない。わからない以上、「命のノート」はただの古ぼけた雑記帳に過ぎず、「命のノート」が行方不明になるという映画のクライマックスも空回りしてしまうのだ。

 富司純子と寺島しのぶを親子共演させるという目玉があるにも関わらず、ふたりが同一ショット内に納まるシーンがないのは残念。寺島しのぶの伸びやかな演技に比べると、富司純子の演技はいささか型にはまった印象もあり、ひとつの役柄としてつながっていないような気もする。これは演出する側に、もっと芝居を解きほぐしてほしかった。『寝ずの番』の富司純子はよかったが、今回はちょっと期待外れだ。

10月下旬公開予定 ユーロスペース、銀座テアトルシネマ
配給:東京テアトル、デジタルサイト
2006年|1時間47分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.machiaishitsu.com
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