日本で04年に映画が公開された「世界の中心で、愛をさけぶ」を、韓国で翻案再映画化した純愛メロドラマ。主演は『猟奇的な彼女』のチャ・テヒョン。ヒロインを演じるのは「秋の童話」のソン・ヘギョ。監督は『イエスタデイ/沈黙の刻印』のチョン・ユンスという顔ぶれ。
どういうわけか僕は原作未読で映画もドラマも見ておらず、この映画についてはこの映画単独での評価になるのだが、これは二流の難病メロドラマ以外の何ものでもないように思う。難病メロドラマは韓国映画のお家芸で、僕は『永遠の片思い』にも『私の頭の中の消しゴム』にもさんざん泣かされたクチだ。しかしその僕が、この映画にはまったく涙を誘われなかった。なぜ泣けないのか? それは物語が主人公たち若いカップルの内部で身勝手に閉じていて、観客も含めた外部に向けて開かれていないからだ。
物語は10年ぶりのクラス会に、主人公スホが姿を現すところから始まる。彼は高校時代に恋人スウンと死別した心の傷を抱えたまま、まるまる10年の年月を過ごしてきたのだ。ここから物語は高校時代の回想になる。スホとスウンの出会い。交際の始まり。ふたりきりで出かけた島への一泊旅行。ファーストキス。だが彼女は突然病気で倒れ、そのまま回復することはない。スホはふたりにとって思い出の島に、再び彼女を連れて行こうとするのだが……。
映画のテーマになっているのは「初恋を失う痛み」だ。スホとスウンは死別だが、スホの祖父マングムのように生きながら離ればなれになる恋人たちもいる。その痛みを抱えたまま、人は生きる。スホは痛みを抱えて10年を過ごし、マングムは数十年を過ごしている。彼らは決してその痛みから開放されない。彼らは初恋の思い出に支配され、縛りつけられたまま残りの人生を生きている。でもこれって、あまりにも不幸な人生ではないか? 韓国人はこれをロマンチックな純愛だと思うのかな。愛を失い傷ついても、人はその後の人生を生き続けなければならない。初恋の思いを乗り越えて、別の愛に生きるのが人間ではないのか。スホは残りの人生を、スウンへの愛に殉じて生きていくのか? そうするのが彼にとって幸福なのか? どうにも納得できないのだ。
主人公スホを除くすべての人物が薄っぺらで、まるで魅力がないのがこの映画にとって最大の欠点だと思う。人間にとっての悲劇とは、結局のところその人間を取り囲む人間関係の中の悲劇ではないだろうか。スウンの病気を彼女の両親や友人はどう受け止めるのか。スウンを失う悲しみに打ちひしがれるスホに、家族や友人はどう接するのか。個人の悲しみは周囲に波及し、そこで増幅される。この映画に欠けているのは、そうした悲しみの増幅装置なのだ。マングムのエピソードも主人公たちの悲劇と共鳴し合うようで、じつは微妙に波長がずれているように思える。それにしても、チャ・テヒョンは同じような役を演じすぎ!
(英題:My Girl & I)
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