アダン

2006/04/21 メディアボックス試写室
日本のゴーギャンとも呼ばれる孤高の画家・田中一村の生涯。
榎木孝明が狂気すれすれの熱演。by K. Hattori

 単身奄美大島に渡り、独特の画風で幾多の作品を生み出した画家・田中一村の伝記映画。タイトルの『アダン』とは彼がしばしば絵のモチーフにしたタコノキ科の熱帯性常緑低木・阿壇のことで、映画の中では奄美大島の精霊のように主人公を導く少女の名となっている。この映画の特徴は、主人公のモデルが明らかに田中一村であるにもかかわらず、そのモデルから一定の距離をおいたフィクションとして作られていることだ。脚本は松山善三。監督は『地雷を踏んだらサヨウナラ』や『みすゞ』の五十嵐匠。主演の榎木孝明は、『HAZAN』に続いての五十嵐作品主演だ。

 映画は終戦直後の昭和20年代から始まり、一村がたったひとりで孤独な死を迎える昭和52年までをほぼ時系列に描いていく。(ただし映画冒頭に少女アダンが主を失った一村のアトリエにたたずむ姿が挿入されており、映画全体としては回想形式になっている。)強調されているのは、周囲の人たちをはねつける一村の強烈な自我だ。自分の絵に対する強固な自信。それが画壇から否定・拒絶されたことに対する反骨心から、一村はすべてをなげうって奄美大島に移り住み、そこで画業と自給自足と雇われ仕事が渾然となった生活へとのめりこんで行く。

 決して大きな予算をかけた映画ではないのだが、出演する俳優たちが粒揃いで芝居のアンサンブルがまとまっていることに加え、美術スタッフの奮闘で映画の世界観にしっかりとした厚みが生まれている。一村と姉が暮らしている古い農家。奄美大島の一村のアトリエ。一村の描いた作品の数々。中でも僕が一番感心したのは、一村が美学校時代の友人にうどんをおごられる闇市のセット。これも決して大がかりなセットではないが、終戦直後の雰囲気がしっかりと感じられるいい場面だ。すべてを失った貧しさの中から復興に向けて生き生きと活動している闇市の雑踏が、何も無いところから新しい絵を生み出そうとする田中一村の気概と重なり合う。田中一村と荒木泰雲というふたりの画家が、同じ場所からまったく違う方向に向かって歩きだす場面だ。

 映画の中で強調されているのは、主人公田中一村と姉の異様なまでに親密な関係だ。姉を母のように、恋人のように、妻のように慕い、愛し、ベッタリと甘えてみせる一村と、弟の天才を信じて、身も心も弟に捧げ尽くしている姉の関係。そこに近親相姦的な相互依存関係を見て取るのは簡単なのだが、この映画はそこを実に注意深く迂回して、ふたりの関係を世にも珍しい姉弟の二人三脚関係のように描いている。姉を演じている古手川祐子の清潔感と、一村を演じる榎木孝明の狂気じみた演技が、ふたりの関係から性的なものを排除してしまう。ふたりはまるで修行僧か修道士のように、ただ芸術のためだけにその身を燃焼し尽くしていく。

 実際の田中一村の絵や写真を登場させず、映画と現実の間に最後まで一線を引いているのが潔い。

5月20日公開予定 東京都写真美術館ホール
配給:東京テアトル 宣伝:レゾナント・コミュニケーション
2005年|2時間19分|日本|カラー|ヨーロッパビスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.adan-movie.net/
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