谷崎潤一郎の短編小説「刺青(いれずみ)」を、現代風に翻案した作品。彫物師が理想の肌を持つ若い女を誘拐して刺青をほどこすが、刺青を彫られた女は精神的に彫物師より優位に立つようになるという物語だ。「刺青」はこれまでにも、増村保造と曾根中生によって映画化されているが、今回の映画は『乱歩地獄』の「芋虫」でコンビを組んだ脚本家・夢野史郎の脚色、佐藤寿久の監督によるもの。主演は吉井怜と弓削智久。
残念ながら僕はこの映画を観ても、作り手の狙いがどこにあるのかわからなかった。ここに谷崎文学の耽美主義は見当たらない。刺青を通した男女のフェティッシュな関係性が、この映画ではまったく描けていないのではないだろうか。基本的にふたり芝居で観念的な台詞が多いのだが、どの言葉も上滑りしていて、観ていても心に響かない。これは脚本が悪いのだろうか? それとも同じ脚本からでも、優れた映像作家や力のある俳優からなら、この作品が描こうとしているであろう人間の恐ろしさや凄味が伝わってくるのだろうか?
美に対する執着がテーマのひとつになっているようだが、その「美」の魅力が画面から伝わってこないのは残念だった。ビデオ画像の単調さは致命的。舞台になっているのは主人公たちがいる小さな部屋の中にほぼ限定され、予算がないことからだろうが、カメラアングルも極端に制限されている。美術も半透明のシャワーカーテンのようなものが四方に張りめぐらされているだけで、とても安っぽいのだ。ここからは主人公たちの美意識が見えてこない。彼らがいくら美について語っても、それは貧しいインテリアの中で繰り広げられる空虚な観念論でしかない。
こんな話は最初からリアリズムの枠を取っ払って、禁欲的なスタイルの中に閉じ込めてしまうに限る。いっそのこと最小限のセット以外をすべて暗幕で隠し、抽象的な舞台劇のような空間で、人間だけを浮き彫りにするような演出にした方が良かったのではないだろうか。それができずに中途半端にリアリズムを指向した結果、この映画は単に貧乏くさい映画になってしまったのだ。この映画からは、予算がなかったという製作現場のリアリズムだけが伝わってくる。
演出の切れの悪さも影響しているのかもしれないが、この映画は物語自体もよく理解できないものになっている。作り手はそもそもこの物語を理解しているのだろうか? それとも自分たちは理解しているから観客も理解できるものだと勝手に決めこみ、物語を語り伝える努力を放棄してしまったのだろうか? 主人公ふたりの人物像や関係性が見えず、そのため捕らえられた女と捕らえた男の関係性が逆転していくダイナミズムが不明確になっている。刺青のコレクションというオリジナルのエピソードのためだろうが、原作では女郎蜘蛛だった刺青の図柄を、わざわざ映画で八重垣姫に変更している理由もよくわからなかった。
DVD:刺青 SI-SEI
原作:刺青・秘密(谷崎潤一郎) 原作:潤一郎ラビリンス〈1〉初期短編集 関連DVD:刺青(いれずみ)(増村保造) 関連DVD:佐藤寿保監督 関連DVD:吉井怜 関連DVD:弓削智久 |