青空のゆくえ

2005/07/07 映画美学校第2試写室
中学3年生の夏を瑞々しいタッチで描く青春映画。
終始ニコニコ。これは大満足だ。by K. Hattori

 中学3年生の高橋正樹は夏休みを目前にひかえた7月の始め、突然クラスメイトたちに夏休み中の転校を発表する。父親の仕事の関係で、一家がアメリカに引っ越すことになったのだ。正樹は引っ越す前に「ひとつやり残したことがある」と言うのだが、それが何かは言わなかった。仲のいい友人たちは、正樹が転校について何も話してくれなかったことにちょっと腹を立てもする。それに「やり残したこと」って何なんだ? 正樹の好きだった女の子は一体だれ? 正樹の転校発表と思わせぶりな謎めいた言葉が、クラスメイトたちの間に波紋を広げていく……。

 大人と子供の中間点、思春期ど真ん中にいる15歳の少年少女たちを、等身大に切り取った青春群像劇。物語としては海外に転校する正樹を中心にしてタイムテーブルが作られているのだが、映画の主役は登場する正樹とクラスメイトたち全員であり、映画を観た人は最後にすべての登場人物たちが大好きになっているだろう。誰もが経験する15歳の夏。伸び盛りのエネルギーに満ちたそのきらめきを、シャープに定着させた脚本と演出には感心した。夏休みをはさんだ夏の時期に物語を限定し、原則時系列にエピソードを配置していく直球勝負。しかも最後には15歳の夏を映画の中にすべて封印し、気持ちいい形で永遠にその時間を静止させてしまう。この脚本の企みについニヤニヤさせられてしまった。

 意地悪な言い方をするようだが、青春とは人生のある時期に出現する幻影のようなものだ。おそらくほとんどの大人が、青春期に美しい時間を持っていただろう。中には「私の青春は面白くもおかしくもない退屈で苦痛に満ちた時期だった」と言う人がいるかもしれないが、そんな青春も、心と身体が大きく成長していく時期特有の輝きを持っていたはずなのだ。青春記の苦痛や煩悶もまた、青春記の繊細な感受性があってこそ始めて味わうことができるのだ。青春時代はそれ自体で、希少資源のような価値を持っている。

 この映画に登場する15歳の夏は確かに美しい。でもその美しさが永遠に続くことはない。15歳の時にはそれが永遠に続くような錯覚があるが、実際にはその季節はあっと言う間に過ぎて消えてしまうのだ。中学生のときの親友と、大人になってもまだ付き合っているという人はほとんどいない。一緒に泣いたり笑ったりした仲間たちも、時が過ぎれば遠い他人同士になってしまう。時は過ぎ、人は移ろい、青春期は「思い出」の中に埋没していく。しかしこの映画はその「過ぎていく時間」を、映画の中に封印している。そのために用意されている仕掛けが、主人公・正樹の転校なのだ。

 物語の最後に主人公を取り去ることで、この物語は15歳の夏を永遠の中に閉じ込める。本来流れ去るはずの時間は中断され、せき止められる。これもまた錯覚なのだが、この映画ではその錯覚がじつに気持ちいい。あとには清々しい印象が残る。

今秋公開予定 シネ・リーブル池袋ほか
配給:ムービーアイエンタテインメント
2005年|1時間42分|日本|カラー|シネマスコープ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.aozoranoyukue.com/
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