HINOKIO

2005/04/08 松竹試写室
引きこもりの少年がロボットを介して友情を育む。
拙い部分も多いが映画の後味は爽やか。by K. Hattori

 事故で母を亡くしたことで心に深い傷を負い、周囲にも心を閉ざして部屋に閉じこもってしまった少年・岩本サトル。メーカーの技術者であるサトルの父は、サトルの分身として学校に通う遠隔操作のロボットを開発する。サトルの操縦するロボットは、サトル本人として小学校に通学するようになる。クラスメイトから「ヒノキオ」というあだ名をつけられたロボットを介して、少しずつだが親しい友だちもできたサトル。特に仲がよくなったのは、仲間内のリーダー格でもあるジュンだ。だかその頃、子どもたちの間ではあるゲームが流行していた。そのゲームは現実の世界と不思議な接点を持っていて……。

 人間同士がハイテク機械を通して親しい交流関係を作っていくという物語は、パソコン通信やインターネットを長く利用している僕には自然なものに思えた。既にテレビ電話を使った会議システムや英会話学校があるのだから、この映画に登場するようなロボット技術が実現すれば、何らかの事情で学校に通えない生徒にかわって、ロボットが授業を受けることもあり得るだろう。そこではロボットを媒介にして、人間同士の心の交流も生まれるに違いない。この映画はネット時代の新しい友情をリアルに描いていると思う。

 しかしゲームと現実がリンクしていくという、この映画のもうひとつのアイデアが僕にはぴんと来なかった。都市伝説や民話のようなフォークロアと、現実の世界をリンクさせていく物語はこれまでにもあった。しかしこれはそもそも、フォークロア自体が「現実の写し絵=もうひとつの現実世界」だから不自然にならないのだ。フォークロアの世界は現実世界と同じだけの深さと広がりを持っている。でもゲームはどうなんだろう。それはどんなに巧妙に作られていたとしても、現実を置き換えられるほどの深さや広がりを持てるとは思えない。これはゲームをしない人間の偏見だろうか?

 監督・原案・共同脚本・VFXは、これが映画監督デビュー作となる秋山貴彦。きっと初めての映画の中で、いろんなことがやりたかったんだろうし、いろんなメッセージを映画に込めたかったのだろう。そんな作り手の意欲が、映画を観る側にもダイレクトに伝わってくる。しかしメッセージについては、意欲ばかりが空回りしていているところも多い。ゲームと日常空間のシンクロというアイデアもそうだし、サトルと父親のぎこちない関係の描写が、新聞や雑誌によくある「引きこもりの子どもと家族の像」をそのままなぞっているように見えてしまうのも残念だ。ここではサトルと父が抱える、この親子に固有の悲劇と和解のドラマを見せてほしかった。サトルとジュンの間には「ふたりだけの固有の関係性」が濃厚なのに、サトルと父の関係はあくまでも一般論のようでつまらない。ここがうまく描かれていると、最後のオチがもっとうまく決まったのに。

 ジュンを演じた多部未華子がすごくよかった。

夏休み公開予定 丸の内ピカデリー2ほか全国松竹東急系
配給:松竹
2005年|1時間51分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.hinokio-movie.com/
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