わが家の犬は世界一

2005/1/13 映画美学校第1試写室
警官に犬を取り上げられた男が犬を取り戻そうと奮闘する。
北京庶民の生活ぶりがよく描けている。by K. Hattori

 飼犬の登録が義務付けられている中国北京を舞台に、未登録の愛犬を取り上げられた一家の主人が、あの手この手で犬を取り戻そうとする様子を描いたドラマ。主演はチャン・イーモウ監督の『活きる』でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞しているグォ・ヨウ。犬の登録料は5千元だというが、映画の中では主人公一家がこの金を貯めるのに3年かかると説明されている。日本人の感覚では数十万円から百万円近い大金だろう。質素な生活に甘んじている庶民にとって、登録した犬を買うのは難しい。そうなれば、隠れてこっそりと犬を飼うしかないではないか。

 犬の飼育を事実上禁じている行政当局の方針に反して犬を飼っているのだから、主人公一家の行動はまるでお尋ね者の犯罪者だ。警察に見つからないよう真夜中に犬を散歩に出すのもそうだし、警察の一斉取締りがあれば一目散に逃げ出すしかない。反権力とまでは言わずとも、権力の意向に逆らっている後ろめたさは付いて回る。さらにコソコソ隠れて犬を飼っていた時はまだしも、取り上げられた犬を警察から取り戻そうとすれば、主人公は露骨に権力と対立せざるを得なくなってくる。警察へのコネを使う。他人の登録証を流用してごまかしをはかる。若い警官に賄賂を使う。ヤクザめいた連中に仲介を頼んだり、怪しげな闇商売の世界に足を踏み入れたり……。

 共産主義国家である中国でこうした題材の映画を作ることは、かなり微妙な問題をはらんでいるのであろう。この映画は最後に奇妙な尻切れトンボで終わってしまう。それはこの肝心なところを描こうにも描けない、中国ならではの事情によるものだろう。もちろん観客は黒字に白抜き文字で提示される事情の背後に、どんな事実があるのかを知っている。そこまで描きつつも、直接的な描写はできぬまま黒く塗りつぶしてしまうのが、この映画の限界だったのだ。

 しかしこの映画が何の制約も配慮もなしに作られれば、映画として素晴らしいものになったであろうか? 製作側に制約や配慮があればこそ、この映画の遠まわしで遠慮がちな表現が成立しているわけだし、そうした映画全体のトーンの中で、体制に媚びへつらう卑屈な主人公も魅力的なキャラクターとして生かされているのだ。映画のラストシーンも、直接的な表現を迂回して突然画面が真っ暗になるのが、かえってこの映画の作られた環境のいびつさを浮かび上がらせている。これを「めでたしめでたし」「犬が戻ってよかったね」「家族でニッコリ」というハッピーエンドにしてしまうと、この映画が描いてきた世界がすべてひっくり返ってしまうような気がする。主人公はコソコソと犬を飼っていたわけだが、犬を取り戻した後はさらにコソコソと注意深く犬を飼うに違いないのだ。

 犬を取り戻そうとする映画が、終盤で息子を取り戻そうとする話になる不思議。絶望的な表情で車を見送る主人公の妻が、やけに印象的に残る。

(英題:CALA, MY DOG)

GW公開予定 新宿武蔵野館
配給:ザジフィルムズ
2002年|1時間40分|中国|カラー|1.85ビスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.zaziefilms.com/wagayano-inu/index.html
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