『王妃マルゴ』『愛する者よ、列車に乗れ』『インティマシー/親密』など、コンスタントに作品を発表しているパトリス・シェロー監督の最新作。ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した作品だ。
パリで暮らしているリュックのもとに、もうずいぶん長い間疎遠だった兄のトマが突然やって来る。げっそりとやせ衰えたトマは、血液中の血小板が破壊されていくという不治の病に冒されていた。2年前にこの奇病を発症し、その時は回復したものの最近また再発したという兄は、弟のリュックに病院への付き添いを頼む。なぜ今になって弟に会いたくなったんだ? そんな疑問を抱きつつ、それでもリュックは兄の世話を始めるのだが……。
映画の中では兄と弟が登場するふたつの時間軸が同時進行する。ひとつは兄が弟を訪ねてきてから始まるパリでの時間。もうひとつは治療が一段落した兄が、弟と一緒に海辺の小さな町を訪れている時間だ。要するに長い一続きの物語を、兄の退院を境にしてふたつのぶった切り、それぞれをさらに細かくいくつかのパートに切って交互に並べている。ただしこのふたつのパートは、時間の進み具合がずいぶんと違う。パリの場面はひとかたまりのパートごとに数日から数週間ほどの時間経過があるようだが、海辺の町の場面はほんの数日の出来事のように見える。次々めまぐるしく変化していくパリの出来事の間に、まるで静止画のようにのどかな海辺の町が挿入されていく。だが本当にドラマチックなことが起きるのは、じつはこの海辺のパートなのだ。
この兄弟は子供の頃に仲が良かったのだが、その後疎遠になってずっと連絡すら取っていなかったらしい。なぜふたりは仲違いをしたのか。なぜ兄は急に弟を訪ねてきたのか。そうした謎や過去のいきさつが、物語の進展と共に少しずつ明らかにされてくる。兄弟が最終的にお互いの人生を理解し、あるいは理解できぬまでも受け入れ、ようやく和解が成立したところで起きる悲劇……。しかしこのラストシーンの何と美しいことか。それはあらかじめ決められていた場所に、決められていたものが落ち着いただけのように見える。
病み衰えた兄を演じるブリュノ・トデスキーニは、この映画のために12キロ減量し、撮影中も1日400キロカロリーの食事制限で過ごしたという。病院での治療の様子なども本物のリアルさ。手術のために体毛を剃ってしまうシーンは、ひとつの人格を持つ人間が物体として扱われているようで痛ましい。そう、病気は人間を生きたままひとつの物体にしてしまうのだ。医者は患者の意思と無関係に治療をする。周囲もその人間「個人」ではなく、「病気」というフィルターを通してその人を見ることしかできなくなる。映画の最後で兄トマが取った行動は、そんな現実に対する精一杯の抗議であったのかもしれない。彼はすべてを脱ぎ捨てて本当の自分に戻り、病気からも解放されるのだ。
(原題:Son frere)
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