笑の大学

2004/11/04 シネクイント
三谷幸喜の舞台劇を役所広司と稲垣吾郎主演で映画化。
面白いが最後30分はひどく退屈だ。by K. Hattori

 舞台劇として好評を博した三谷幸喜の原作を本人が映画用に脚色し、三谷脚本の「警部補・古畑任三郎」や映画『世にも奇妙な物語/映画の特別編』の星護が監督したコメディ映画。太平洋戦争前夜の日本を舞台に、喜劇脚本の執筆に情熱を燃やす男と、舞台上演を阻止しようと脚本に難癖をつける検閲官の攻防を描いている。劇団「笑の大学」の座付き作家・椿一を演じるのはSMAPの稲垣吾郎。これまで一度も心から笑ったことがないという鉄面皮の検閲官・向坂睦夫を役所広司が演じている。

 作家が自信たっぷりに持ち込んだ脚本が検閲官の横やりでどんどん変更されていくが、結果としてはそれが大成功!という筋立ては、主婦の書いたラジオドラマがスポンサーや役者の都合でどんどん変更されていく三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』や、芸術肌の建築家と腕に覚えのある大工が1件の家を巡って争う同じく三谷監督の『みんなのいえ』にも通じる世界だ。しかしこの『笑の大学』にはラジオドラマの収録スタジオや家の建築現場と違って、見た目の面白さがほとんどない。基本的には警察の取調室だけを舞台とし、登場人物はふたりきりという小さな物語なのだ。完全密室という意味では、同じ三谷脚本の『12人の優しい日本人』の雰囲気に近いかもしれない。

 しかし何しろ登場人物はふたりきりだ。芝居の密度が12人とはまるで違う。ただしそれではあまりに息苦しいと感じたのか、カメラが浅草の興行街に少し出ていったりする。でもそこには「ドラマ」がないので、いかにも取って付けたような印象は残ってしまう。

 本来なら劇場の外でも何らかのドラマは起きるべきなのだが、この映画は背景となっている「時代」をこの取調室外の描写に求めているようだ。じつはこの映画に登場する椿一という作家には、エノケン一座の座付き作家でありながら戦争に散った菊谷栄というモデルがいる。映画が最後にハッピーエンドにならないのは、喜劇作家の大先輩である彼に対する三谷幸喜の思いからだ。せっかくこの作品が映画になり、カメラを取調室の外に出すのなら、劇場内の笑いや取り調べ室内のスリリングなやりとりと、劇場外にある時代の空気をもっと明確に対比してほしかった。一応は興行街の看板が変わったり、軍人が増えたりする様子で描写してはいるのだが、これはもっと前に押し出してもよかった。そうすれば取調室での和解が、戦争の時代という大きな敵に押しつぶされてしまう悲劇が、より一層引き立ったと思う。

 映画の最後30分はそれまでの作家対検閲官の戦いから、喜劇を愛する男たち対戦争のドラマに変化する。しかしこの映画は「戦争」が描けていないため、喜劇のために一致団結した男たちの思いは空回りするばかり。これは監督の力不足だろう。残念!

 力不足は稲垣吾郎も同じ。この映画の笑いはほとんど役所広司が作っていた。さすが!

10月30日公開予定 シャンテ・シネほか、全国東宝洋画系
配給:東宝
2004年|2時間1分|日本|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://warainodaigaku.nifty.com/
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