エクソシスト ビギニング

2004/10/20 錦糸町シネマ8楽天地(シネマ3)
オカルトとアクションの融合は大人版『ハリー・ポッター』。
信仰の問題はどこかに置き忘れている。by K. Hattori

 73年に製作されたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』は、世界中にオカルトブームを巻き起こし、その後2本の続編と数多くの亜流作品を生み出した古典ホラー。今回作られた『エクソシスト ビギニング』は、その本家本元『エクソシスト』に登場する老エクソシスト、メリン神父の若き日を描いたシリーズのプレ・ストーリーだ。『リング』シリーズにおける『リング0/バースデイ』みたいな位置づけ。『エクソシスト』ではカラス神父という若い聖職者がエクソシズムの儀式を通して信仰を取り戻すが、今回の『エクソシスト ビギニング』ではメリン神父自身が一度離れた信仰に立ち戻る。

 この映画、最初はポール・シュレーダー監督でほとんど完成直前まで作業が進んでいたものの、最終段階で監督が会社に解雇されてしまった。後釜に座ったのが『ディープ・ブルー』や『ドリヴン』のレニー・ハーリンで、最初は取り残しの追加撮影だけをやるのかと思ったら、結局ほとんどすべてのシーンを再撮影してしまったらしい。ポール・シュレーダー版の『エクソシスト ビギニング』は、どうやらDVDで発売されるとのこと。僕個人としては、シュレーダー版の方が面白いのではないかと勝手に考えているんだけど、実際のところは観てみるまでわからない。そういや日本でも昔、同じようなことがありましたなぁ。あの映画のタイトルは確か『RAMPO』と言いましたっけ……。

 僕は『エクソシスト』が大好きなのでこの映画にも少し期待していたのだけれど、生憎あまり面白いとも恐ろしいとも思わなかった。映画の中で観客を引っ張る要素はいくつか用意されている。東アフリカで発見された5世紀の教会の正体を探る。教会堂の地下にある古代の神殿と悪魔像の正体を探る。建設現場付近で起きる超常現象の原因は何か。悪魔は誰に憑依しているのか。そして、メリン神父は失った信仰を取り戻せるのか。この映画の中ではこれらの要素が、どうも未整理なままゴチャゴチャとからみ合っている。脚本段階でエピソードを交通整理しておけば、こんなに中途半端な映画にならなかったと思うのだけれど……。これは監督交代と何か関係があるのだろうか。

 例えばこの映画の中途半端さは、次のようなことでも明らかだろう。発掘現場に軍隊がやってきて部族との戦争になるというエピソードがある。砂嵐の中で槍を抱えた土人の戦士と最新鋭の火器を持つ軍隊が戦う、この映画一番のクライマックスであり、おそらくもっともお金をかけたスペクタクルだろう。この場面で作り手がやろうとしていることはわかる。映画冒頭で紹介された、中世初期の大殺戮を再現することだ。しかしこのスペクタクルが、主人公であるメリンの抱えているドラマとまったくシンクロしていない。こうして映画のラストはストーリーが真っ二つに引き裂かれ、どちらも煮え切らないままに終わってしまうのだ。

(原題:Exorcist: The Beginning)

10月16日公開 丸の内ルーブルほか全国松竹東急系
配給:ギャガ・ヒューマックス共同配給
2004年|1時間54分|アメリカ|カラー|2.00:1|DTS、ドルビーデジタル、SDDS
関連ホームページ:http://www.exorcist-beginning.jp/
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