なぜ彼女は愛しすぎたのか

2004/05/25 映画美学校第2試写室
30歳のヒロインが少年に恋をする動機付けが弱いような……。
彼女にまったく共感も同情できない。by K. Hattori

 30歳の女性写真家マリオンは親戚宅で開かれた甥っ子の誕生パーティーで、13歳の少年クレマンに出会う。洗練された年上の女性にのぼせ上がったクレマンを軽くあしらっているつもりのマリオンだったが、やがて彼女自身が彼との関係にのめり込んでいく。首位の目を盗んでのデート。やがてふたりは男女の関係になってしまう。クレマンはまさに天にも昇る気持ち。だがマリオンはこの関係に、自分の身を滅ぼす危険なものを感じていた。

 女優でもあるエマニュエル・ベルコが、監督・主演した禁断のラブストーリー。映画全編がビデオ撮りというドグマ作品のようなタッチだが、べつにドグマとは関係ない。しかしオープニングタイトルを廃していきなりドラマに入っていく手法や、主人公のドロドロとした内面を一人称で描いていく様子を観る限り、この映画がドグマの手法をかなり意識しているのは間違いないと思う。

 年配の男性が幼い少女に恋して性的な関係を持つという映画は数多く存在し、思春期で性の芽生えを迎えつつある少年が、年上の女性に恋とセックスの手ほどきを受けるという映画もたくさんある。この映画は『ロリータ』の男女を入れ替えたものであり、『個人教授』や『青い体験』などの童貞卒業映画を年上女性の側から描いたものだ。しかし相手の少年が「身体は大人だけど社会的には子供扱い」というハイティーンではなく、13歳というローティーンに設定しているため、話はかなり異様なものになってくる。身体的に成熟した少年の性を成熟した女性が受け入れるのではなく、まだ未成熟な蕾を無理やり開花させてしまうような残酷さを、僕はこの映画から感じてしまうのだ。

 僕はこのヒロインにまったく共感できないし同情もできない。彼女が無分別な恋に身を焦がすのは自由だが、相手が子供だと犯罪チックなものになってしまう。『ロリータ』のヒロインは幼いながらも手練手管を労する小悪魔だったから、それにまんまとひっかかるハンバートにはまだ同情の余地がある。でも『なぜ彼女は愛しすぎたのか』のヒロインは、相手が性的に未熟であることを百も承知で彼に手を出すのだ。何という愚かさ。

 恋は人を愚かな行動に走らせる。最初から最後まで分別のある恋なんて、きっと本当の恋ではないのだ。でも無分別な度合いの大きさと、恋の本物度合いとは必ずしも比例しない。ヒロインの無分別な行為を半ば恋するゆえの愚かな行動だと理解するにしても、あるレベルを超えてしまうと、それはもう非難されて仕方のない行為になるのではないだろうか。この映画では、ヒロインがなぜ少年に恋してしまったのかがよくわからない。映画を観ている人が「こういう状況になれば、恋をするのもやむなし!」と納得できれば、その後の彼女の行動もずいぶん同情的に解釈できるのだけれど……。恋に落ちる瞬間が描けていないことが、恋愛映画としては最大の弱点なのだ。

(原題:Clement)

8月下旬公開予定 シブヤ・シネマ・ソサエティ
配給・宣伝:ユーロスペース
2001年|2時間12分|フランス|カラー|1:1.66|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.eurospace.co.jp/
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