イブラヒムおじさんとコーランの花たち

2004/05/07 銀座ガスホール
パリ下町を舞台にしたユダヤ人少年とトルコ人の老人の交流。
1960年代パリ下町の風俗描写が魅力的。by K. Hattori

 1960年代のパリ。裏通りのブルー街で父親とふたり暮らしをしている13歳の少年モモは、通りで客を引く娼婦たちの姿に見とれていた。表情にまだあどけなさの残るモモも、人並みに色気づくお年頃なのだ。幼い頃から小銭を貯めていたブタの貯金箱を壊し、なけなしの金を握りしめて無事に初体験を済ませたモモだったが、家に帰れば仏頂面の父親との暮らしが待ちかまえている。父親は二言目には「ポポルだったらな」と言う。ポポルというのは、父と別れた母が連れて出たモモの兄の名前だ。モモは何かとポポルと比較されるたびに、顔を見た記憶さえないたったひとりの兄を憎む。だがそんなモモを優しい目で見つめる、たったひとりの理解者がいた。それは近くで雑貨店を営むトルコ人の老人イブラヒムだ。ある日、モモを残したまま家を出た父が、自殺したとの知らせが届く……。

 「小説・イエスの復活」や「神さまとお話しした12通の手紙」などの著書が日本でも邦訳出版されているエリック=エマニュエル・シュミットの小説を、『うつくしい人生』のフランソワ・デュペイロン監督が映画化したもの。脚本は原作者と監督が共同で手がけている。モモ役のピエール・ブーランジェはこの映画がデビュー作。この若い新人俳優を、イブラヒム役のオマー・シャリフや、父親役のジルベール・メルキらがサポートしている。特に最初は無口だったイブラヒムがモモと親しく会話するようになってからは、映画の主人公がイブラヒムにバトンタッチされたと考えるべきかもしれない。最初のバトンはモモが持ち、途中でイブラヒムがそれを受け取ってモモの伴走に助けられながらかなり長い距離を走り、最後に再びモモにバトンが戻る。そんな構成の映画なのだ。

 映画の後半はモモとイブラヒムのロードムービーになるが、面白いのは前半のブルー街でのエピソードだ。自分を捨て去った父親の蔵書を次々に売り払い、通りで商売している女たちを片っ端から買って歩くくだりは痛快。書棚がスッカラカンになっても、父親が死ねば「可愛そうね。慰めてあげる」と女に腕を引っ張られるモテモテぶり。うらやましい。同じアパートに住む少女との短い恋のエピソードも、幼い恋の残酷さが胸にチクリと突き刺さるものだった。

 寡黙な老人イブラヒムが突然おしゃべりなキャラクターに大変身する違和感は、名優オマー・シャリフにもカバーしきれなかった。シャリフはこれを説明するために役柄のバックグラウンドをかなり考え役作りしたはずだが、それを映画の上に投影できるエピソードがないため、観ているこちらはやはり腑に落ちないのだ。人物像としてはモモの父親の方が興味深いものに仕上がっているが、これはエピソードの分量とキャラクターの性格付けが、いいバランスを保ってているからだと思う。映画の締めくくりも、少々くどい感じがした。

(原題:Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran)

夏休み公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ
宣伝:ギャガGシネマ風
2003年|1時間35分|フランス|カラー|ヴィスタサイズ|DOLBY SR/Dightal
関連ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/
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