浮気な家族

2004/05/06 映画美学校第2試写室
浮気亭主を持つ妻が隣家の男子高校生を誘惑する。
中流家庭の危機を描いた韓国映画。by K. Hattori

 弁護士ジュ・ヨンジャクの妻ウン・ホジョンは、夫との夫婦の関係にゆっくりと失望しつつある。生活に不自由はないし、具体的に何か目立った不満があるわけでもない。病気の義父の世話をしたり、養子のスインの世話をしたり、結婚後も続けているダンス教室に通ったりしているだけで、1日は何事もなく過ぎていく。結婚してからもう何年もたち、今さら結婚への幻想もへったくれもない。結婚とはすなわち生活なのだから。でも「結婚ってこんなものだったのかなぁ」という思いが、時折首をもたげてくる。夫とのセックスではもう何も感じない。夫は外に愛人がいるようだ……。

 監督は『ディナーの後に』のイム・サンス。主演は『ペパーミント・キャンディー』『オアシス』のムン・ソリ。ここで描かれているのは、ひとつ屋根の下で家族として生活していながら、互いの心がすっかりバラバラになっている人々の姿だ。家族の心がバラバラになろうと、それがすぐ家庭生活の破綻につながるわけではない。その顕著な例は、ヨンジャクの父母の関係だろう。家庭の中で暴君のように振る舞ってきたヨンジャクの父は病気で余命幾ばくもないが、その夫を尻目に、母は愛人との情事に余念がない。この夫婦は気持ちの上ではすっかり他人になっているのだが、それでも妻は妻の役割を演じ続ける。これはヒロインのホジョンも同じこと。別に義父の体調を気づかっているわけではないが、彼女はきっちりと「嫁」としての役割を演じきる。

 家族というのは、その中でひとつの役を演じるということなのだ。主人公夫婦の子供が血のつながらない養子という設定になっていることや、子供が自分を養子だったと知って戸惑いを隠せないというエピソードも、「家族の中で自分の役を演じる」というこの映画のテーマと密接なつながりを持っている。父親が死んだ後で子供が父の親族について調べるというエピソードは、「家族」や「親戚」という共通の舞台に上がってこられなかった人たちは、結局存在しないのに等しいという現実を示している。

 家族」はもはや虚構に過ぎない。しかしすべての家族が虚構を生きているわけではないだろう。主人公一家と関わりを持つ郵便配達夫とその妻子には、「家族」という運命共同体のリアリティが間違いなく存在する。そう家族とは、そもそも運命共同体だったはずだ。貧しい家庭には今もなお運命共同体としての家族が存在する。でも豊かな生活を享受し、それぞれが自立した生活を営むことができる個人にとって、もはや「運命共同体=家族」はフィクションに成り下がる。

 家族が完全にバラバラになった時、ヨンジャクはまったく自由な個人になる。だがそれが幸せなのかはわからない。それに対してホジョンは、家族という運命共同体を新たに作り出す方向に歩み始める。心なしかホジョンの方が幸せそうに見えるところに、この映画の「家族」への信頼感が見えるのだ。

(英題:A Good Lawyer's Wife)

6月公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:GAGAアジアグループ 宣伝:樂舎
2003年|1時間44分|韓国|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/uwaki/
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