パッション

2004/04/08 日本ヘラルド映画試写室
聖書にも歴史にも忠実とは言えないキリスト受難劇。
聖書マニアの僕にはいささか退屈。by K. Hattori

 『ブレイブハート』でオスカーを受賞しているメル・ギブソンが、製作・監督したイエス・キリストの受難劇(Passion Play)。イエスの処刑に至る12時間を、2時間7分の上映時間にまとめた歴史大作だ。劇中で使用される言語に、当時使用されていたアラム語とラテン語を用いている点で、この映画はこれまで数多く作られたキリスト映画と一線を画している。主人公のイエス・キリストを演じるのはジム・カヴィーゼル。マグダラのマリアをモニカ・ベルッチ、聖母マリアをマヤ・モルゲンステルンが演じている。

 物語はイエスのゲッセマネの祈りに始まり、逮捕、裁判、処刑までを詳細に描いていく。エピソードのほとんどは聖書の記述をもとにしているが、十字架の道行きで聖女ヴェロニカが登場するのは、この映画が必ずしも聖書に忠実ではないことを示す象徴的な事例だ。また最後の晩餐の場面でイエスと弟子たちがテーブルで食事をしているのは、この映画が歴史や時代考証にも忠実でもなかった象徴的な事例だ。この映画は新約聖書の忠実な映画ではなく、歴史に対する正確さも欠けている。ここに描かれているのは、製作・監督のメル・ギブソンの個人的な信仰に過ぎない。

 映画ではイエスに対する血みどろの虐待がきわめて詳細に描かれているが、これは今までのキリスト映画にはあまり見られなかった点だと思う。しかし血にまみれ苦痛に顔を歪めながら、十字架の上でいびつに身体をねじるグロテスクなキリスト像は、西洋のキリスト教美術の中では特別にユニークなものではない。むしろこうしてイエスの受難の苦しみを強調することが、イエス・キリストの「贖罪死」を強調することになるのだ。おそらくメル・ギブソンも、そういうつもりでこの「受難」を描いたのだと思う。

 物語は受難劇の進行を時系列に描いていくが、その合間合間に、福音書に描かれたいくつかのエピソードを挿入していく。最後の晩餐、弟子の洗足、罪の女の許し、山上の垂訓などだ、これは聖書の知識がある人ならすぐにわかると思う。こうして映画は、イエスの最期の12時間に、それまでのイエスの全人生が凝縮していることを示す。

 監督も出演者も力を込めた作品だと思うが、僕自身にとってはひどく退屈な映画だった。少しでも最近の聖書学について関心のある人なら、この映画の聖書解釈がもはやまったく時代遅れになっていることにうんざりするのではないだろうか。2004年製作のこの映画より、1935年のフランス映画『ゴルゴダの丘』や1964年のイタリア映画『奇跡の丘』の方が、ずっと聖書に忠実なのだし、時代考証では1959年の『ベン・ハー』や1988年の『最後の誘惑』の方がずっとましだ。こうした過去の映画を超えるものを、『パッション』から見つけることは難しい。こうした退屈さに比べれば、映画の中の反ユダヤ主義など些細な問題だと思う。

(原題:The Passion of the Christ)

5月1日公開予定 テアトルタイムズスクエア他・全国公開
配給:日本ヘラルド映画
2004年|2時間7分|アメリカ、イタリア|カラー|スコープサイズ|ドルビーSRD、SDDS
関連ホームページ:http://www.herald.co.jp/official/passion/
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