ペッピーノの百歩

2004/03/10 映画美学校第2試写室
マフィアに暗殺されたシチリア青年の実話を映画化。
主人公の行動動機がちょっと説得力不足。by K. Hattori

 ペッピーノことジュゼッペ・インパスタートは、1948年にシチリアのチニシという小さな町で生まれた。彼の父親も親戚も、ほとんどがマフィアの構成員。ちっぽけな町の経済は、政治と癒着したマフィアたちに支えられている。小さな町にしては分不相応な空港も、麻薬などの非合法物資の中継基地として、マフィアたちの格好の資金源になっていた。だが成長するにつれて、ペッピーノはマフィアの存在に疑問を持つようになる。時代は1960年代。世界各地で若者たちが大人たちに反抗し始めた頃だ。ペッピーノにとって「大人」とは、すなわち「マフィア」のことだった……。

 仲間たちと反マフィアの新聞や放送局を立ち上げ、1977年に暗殺されたジュゼッペ・インパスタートの伝記映画だ。監督はマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ。物語は大筋で事実に沿っているようだが、そのためかえって「ペッピーノを殺したのは誰か?」といった大きな謎の部分で、曖昧なところが残ってしまったようにも感じる。ペッピーノがなぜ反マフィア運動に関わるようになったのかという行動の動機付けや、彼の仲間たちのバックボーンが見えてこないし、家族の中にマフィアの父と反マフィアの息子を持った家庭内の描写も、もう少しエピソードの肉付けがほしかったと思う。

 映画の中では音楽や本などを通して、ペッピーノが生きた60年代末から70年代という時代を再現しようとしている。例えばパゾリーニの詩集。例えばジャニス・ジョプリン。こうした小道具を使って、チニシというシチリアの田舎町にも、当時世界を覆っていた「若者たちの反乱」という空気が流れていたことがわかる。インテリの若者たちは左翼に突っ走る。だがそれよりも切実なのは、自分たちの目の前に立ちふさがる「大人の世界」を、何とかしてぶち壊してしまいたいという欲求だ。

 ペッピーノの場合、立ち向かっていく相手はご近所のマフィア連中だった。マフィアは悪党だ。社会の生き血を吸うダニ野郎だ。だからそれに刃向かうペッピーノは正義の味方なのだ。でもペッピーノを動かしていたのは、単なる正義感なんだろうか? このあたりが、この映画はひどく曖昧なのだ。おそらくこんな映画になってしまったのは、現在もなお生きているペッピーノの家族(遺族)に対する、監督側の遠慮や配慮があったのではないだろうか。家族はきっと、ペッピーノが正義のために戦って死んだと思っているはず。彼の仲間たちも、それは同じだろう。殺されたペッピーノは、彼らにとって英雄なのだ。

 でもジョルダーナ監督は、ペッピーノを当時のありふれた若者のひとりにしたかったのだと思う。父親に対する反抗心が、町を支配するマフィアへの過激な反発に結びつき、行動がエスカレートしていった末の悲劇……。ならばペッピーノと父の関係をもう少し丁寧に描くだけで、この映画はもっとドラマチックになっただろうに。

(原題:I cento passi)

5月下旬日公開予定 ユーロスペース
配給・宣伝:樂舎
2000年|1時間44分|イタリア|カラー|1:1.85ビスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://home.m02.itscom.net/rakusha/
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