タカダワタル的

2004/02/27 TCC試写室
フォークミュージシャン高田渡の現在を追うドキュメンタリー。
映画を観ると彼のライブが見たくなる? by K. Hattori

 1969年(昭和44年)にデビューして以来、ずっとマイペースで音楽活動を続けているフォークミュージシャン、高田渡の現在を追うドキュメンタリー映画。この映画を企画し出演もしているのは俳優の柄本明。彼はある日たまたま足を向けたライブで高田渡の音楽と人柄にインパクトを受け、その後は彼のライブに足繁く通う常連客に早変わり。今では年に数回のライブを主催するほどの惚れ込みようだという。柄本明は映画の中で何度か高田渡の魅力を語ろうとするのだが、それがどうも言葉にならない。高田渡について語る彼は少し何かを口にすると、カメラに向かって照れくさそうにニヤニヤと笑い、あとはもう頭をかいているばかりなのだ。言葉にならない高田渡の魅力。それを何とか形にして、高田渡のファンにもそうでない人にも伝えたい。そんな気持ちが、この映画を作る動機になっているように思えてならない。

 監督は1975年生まれのタナダユキという女性。なんと彼女が生まれた時、高田渡は既に音楽生活をスタートさせていたのだ。オヤジ濃度の高いこの映画がオヤジ臭くなっていないのは、この監督の持つ感覚によるところが大きいのかもしれない。もちろん柄本明が笑いながら語るように、高田渡はそもそもデビュー直後から今まで、ずっと変わらないスタイルを貫いてきている人だ。そのことは映画が1970年のライブで歌う「ごあいさつ」で幕を開け、映画の最後に同じ「ごあいさつ」で閉じられることでも強調されている。しかしその変わらなさを「懐かしい」と見るのではなく、「なんだかスゴイぞ」と興味津々の眼差しで物珍しげに見つめる視線が、この映画のワクワクドキドキするような魅力の基礎になっているのではないだろうか。

 上映時間は1時間5分。人物ドキュメンタリーとしては情報不足で、音楽映画としてはずいぶんと物足りない部分もある。ドキュメンタリー映画としてはバランスが悪くて、何やら中途半端なのだ。でもこの映画からは、高田渡という人物の人柄だけは伝わってくる。それでいいのだ。たぶんこの映画は、「高田渡の人柄」だけで1時間を持つという確信によって編集されている。「高田渡の人柄」だけが伝わればいいという思いでこの長さになっている。エンディングを観ると、撮影した素材はもっともっとたくさんありそうなのだ。でもそうした素材は、出演してくれた人や協力してくれた人たちへの義理立て程度にしか使われていないのだ。

 この映画1本で、高田渡のすべてがわかるとはとても思えない。いささか風変わりで、ぶっきらぼうで、尻切れとんぼの印象すら残るドキュメンタリーだ。でもこうしたぶっきらぼうなところこそ、『タカダワタル的』という映画の魅力なのかもしれない。映画を観ると、高田渡のライブに行ってみたくなる……。そう思わせることができた時点で、この映画の勝ちなのだ。

4月3日公開予定 テアトル新宿(レイト)
配給:アルタミラピクチャーズ
2003年|1時間05分|日本|カラー|スタンダード|DTSステレオ
関連ホームページ:http://www.altamira.jp/takadawataru/
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