午後の五時

2004/02/27 メディアボックス試写室
タリバン支配の終わったアフガニスタンが舞台のイラン映画。
タイトルはスペインの詩人ロルカの詩から。by K. Hattori

 タリバン崩壊後のアフガニスタンで、初めて作られた本格的な劇映画。ただしこれはアフガニスタン映画ではなく、イランの若い女性監督サミラ・マフマルバフが撮ったイラン映画だ。タリバン後初めてアフガニスタン人の監督によって撮られた映画は、この映画の直後にほぼ同じスタッフで作られた『アフガン零年』(セディク・バルマク監督)になる。

 タリバンの支配が終わり、アフガニスタンでは女性たちが自由に町を歩けるようになった。ノクレはそんな新しいアフガニスタンで、自分自身の道を見つけようとしている若い女性だ。彼女の夢は、アフガニスタン初の女性大統領になること。だがノクレの父は保守的なイスラム教徒で、娘には足元まですっぽりとブルカを被らせ、一般の学校ではなくイスラムの神学校に通わせている。女性の一人歩きももちろん許さない。学校への送り迎えは御者である父親の役割だ。ノクレはそんな父親の目を盗んで、神学校を通り抜けて一般の学校に通っているのだった……。

 事前にハナ・マフマルバフが撮った『ハナのアフガンノート』を観ていたので、この映画を観ていても、出演者を決めるまでのドタバタぶりをつい思い出してしまった。ヒロインのノクレ役にサミラ監督は別の少女をスカウトしたのだが、その少女が出演に難色を示したために監督があきらめたこと。ヒロインの父親役に雇った老人が、撮影開始直前に突然「映画になど出られない」と降板してしまったこと。兄嫁の子供役の赤ん坊を借りてくる際、その親が映画撮影中に我が子が本当に殺されてしまうとひどく怯えていたこと。こうした裏事情を知っていると、この映画に描かれた「フィクション」の向こう側から、アフガニスタンが抱え込んでいる未来に対する困難さがジワリジワリと浮かび上がってくることがよくわかる。(『ハナのアフガンノート』を観ていなくても、わかる人にはわかるだろうけれど……。)

 アフガニスタンはタリバン政権崩壊で自由になった。だがそうした政治的自由を、誰もが無制限に享受できるわけではない。人間は家族という小さな社会の中で暮らしている。ノクレが父に逆らえないように、多くの女たちは今もなお男たちの支配から抜け出せないだろう。タリバン支配が終わった今でも、女性を「男性より劣ったもの」「男性を誘惑し堕落させる悪しきもの」と考えるアフガニスタン人は多い。そう考えるのは保守的な男たちだけではない。町にあふれ出た女たちでさえ、自分たちを「男性よりも劣る」と考えているのだ。『ハナのアフガンノート』で紹介されていたサミラとアフガン女性たちの対話が、映画の中では学校内での生徒たちの対話としてそっくりそのまま再現されている。

 映画は悲劇で終わる。『アフガン零年』もそうだったが、現在のアフガニスタンは映画というフィクションの中でさえ「明るい未来への希望」を描きにくい環境らしい。

(英題:At Five in the Afternoon)

6月公開予定 銀座テアトルシネマ
配給:東京テアトル 宣伝:ムヴィオラ
2003年|1時間45分|イラン、フランス|カラー|1:1.85
関連ホームページ:http://www.theatres.co.jp/
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