アフガン零年

2004/02/24 シネカノン試写室
タリバン政権崩壊後のアフガンで初めて作られた劇映画。
タリバン統治下で苦しむ女性たちの姿を描く。by K. Hattori

 映画や写真を「偶像崇拝」として禁じていたタリバン政権の崩壊後、初めて作られたアフガニスタン映画。監督はアフガニスタン人のセディク・バルマク。彼はアフガンが実質的なソ連の統治下にあった時代、映画を学ぶためにモスクワに留学。その後アフガンに帰国してテレビや映画の製作をしていたが、タリバンが政権を掌握するとパキスタンに亡命。政権崩壊後にようやく母国に戻り、初めて作った映画がこの『アフガン零年』だという。昨年のカンヌではカメラドール特別賞を受賞し、今年のゴールデングローブ賞では外国語映画賞を受賞している映画だが、それは内容の「時事性」が審査員に受けただけでなく、これがひとつの映像作品として優れていたからだと思う。

 物語はタリバン政権下のアフガニスタンが舞台だ。戦争で父と兄を失った少女の一家は、年老いた祖母と母との三人暮らし。母は看護婦として働いていたが、タリバンは女性が労働することを禁じてしまい、看護の仕事は母本人にとっても、看護を依頼する患者と家族にとっても、命の危険を伴うものになってしまった。収入を断たれた家族は食うのにも困るありさま。困り果てた家族は、一人娘の髪を短く切って「少年」に仕立て、知り合いの店で働かせてもらうことにする。だが少年たちを次々に自分たちの神学校に送り込んでいるタリバンは、「少年」になった少女も捕らえて自分たちの学校に押し込んでしまう。大人たちは男装の少女を「少年」と信じて疑わなかったのだが……。

 物語の主人公である少女に名前はない。原題の『オサマ』というのは、「少年」になった少女の名前だ。名前がないのは少女だけでなく、その家族も周囲の人々も、誰も固有の名前を持っていない。この映画の主人公は映画の中だけに登場する固有の存在ではなく、現在のアフガニスタンの象徴だという気持ちが監督の中にあるのかもしれない。少女に仮の名として与えられるのが、テロの首謀者ビンラディンと同じ「オサマ」という名であるのは監督の皮肉だろう。少女はこの「テロリストの名」によって、一時的にであれ身を守ることができたのだから。

 少女を演じたマリナ・ゴルバハーリは映画に出演するまで、街頭で物乞いをしていたという。演技初心者ということもあるのだろうが、この少女の常に怯えたような視線が強い印象を残す。主人公の少女がどんどん不幸になっていく様子は見ていて本当に辛い。なぜ「女だから」という理由だけで、ひとりの人間がここまでの辛酸を味わうことを強いられねばならないのか。かといってタリバン支配下のアフガニスタンが男性天国だったわけではない。女性が虐げられている場所では、男たちもまた不幸なのだ。どの世界でも、社会制度のひずみからウマイ汁を吸うのは一部の特権階級だけらしい。

 こうしたアフガニスタンの状態を、ニューヨークでテロが起きるまで世界中が放置していたというのがなぁ……。

(原題:Osama)

3月中旬公開予定 東京都写真美術館
配給:アップリンク、ムヴィオラ
2003年|1時間22分|アフガニスタン、日本、アイルランド|カラー
関連ホームページ:http://www.uplink.co.jp/afgan/
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