ヴァンダの部屋

2004/01/14 シネカノン試写室
リスボンのスラムで暮らすジャンキーたちの何もない日々……。
3時間の大作だが、これはちょっとしんどい。by K. Hattori


 ポルトガルの首都リスボンにあるスラム街フォンタイーニャス地区。そこで劇映画『骨』を撮り終えたペドロ・コスタ監督は、出演者のひとりヴァンダ・ドゥアルテに、さらに映画を撮り続けることを勧められる。コスタ監督は少人数のスタッフをフォンタイーニャス地区に送り込み、デジタルビデオを使ってヴァンダと家族、友人たちの日常を記録し始める。取材期間は2年間。これを3時間に編集したのが、この『ヴァンダの部屋』だ。

 すべての出来事はフォンタイーニャス地区で起きている。再開発が進むこの町では、毎日のようにトラックやシャベルカーやブルドーザーが激しいエンジン音と地響きをたて、ドリルとハンマーが無人となった家やアパートをぶち壊していく。ここではひとつの世界が終わりかけているのだ。町が徐々に更地になっていく中で最後まで居座っているのは、貧しいスラム街の中でもさらに貧しい最底辺の人々。彼らの多くは麻薬常習者であり、アルミ箔のパイプや注射器を手放せないでいる者たちばかりだ。この映画の主人公となるヴァンダとその妹はアルミ箔パイプの愛用者。近所に住む幼なじみのパンゴは、注射器を肌身離さず持ち歩く似たようなジャンキーだ。

 これはドキュメンタリーなのか? それともフィクションなのか? おそらくこの映画は事前に台本やプランを練り上げず、その場その場で即興的に撮影しているに違いない。そこにはありのままの日常もあれば、即興で演じた芝居もあるだろう。だが映画はそれを区別しないで、すべてをつなぎ合わせて1本の映画にしてしまう。物語らしい物語はない。ドラマらしいドラマもない。登場人物たちはいつも不健康そうで、主人公のヴァンダもいやらしい湿った咳を繰り返す。着ている服もいつもたいてい同じ。室内撮影という制限があるせいだろうと思うが、どんな場面でもカメラアングルはほぼ同じ。季節も時間もなく、ただ人間だけが動いている。時間経過を示すのは、騒音の向こうで確実に壊されていく町だけだ。昨日まで人が暮らしていた空間が、次にはもう瓦礫の山になっている。こうして人の暮らしていた世界が、少しずつ「何もない空間」に置き換えられていく。

 この映画には何の社会的なメッセージもない。社会の麻薬問題を告発しているわけではないし、都市再開発に取り残される貧しい人々の窮状を訴えようとしているわけでもない。社会から取り残されたところでしっかり生き続ける人々の生命力には感心するが、それが「庶民の生活感あふれるバイタリティ」といった言葉で飾られるわけでもない。ヴァンダも仲間たちも、昨日していたのと同じ怠惰な生活を、今日も明日も続けるまでだ。向上心もない。スラムを脱出しようという意志もない。道ばたの雑草のように、彼らはただそこで生きている。

 これで3時間は長い。長すぎる。観ると疲れる。でも観てしまうのはどうしてだろう。奇妙な映画だ。

(原題:No Quatro da Vanda)

3月上旬公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:シネマトリックス、シネヌーヴォ
2000年|2時間58分|ポルトガル、ドイツ、フランス|カラー|1:1.66|ドルビーSR
関連ホームページ:
http://www.cinematrix.jp/vanda/

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