ドッグヴィル

2003/12/19 GAGA試写室
小さな村ドッグヴィルに渦巻くどす黒い人間の欲望と復讐のドラマ。
実験的な手法は面白いけれど、でもねぇ……。by K. Hattori


 ロッキー山脈の麓にある小さな村ドッグヴィル。かつては炭坑町としてそこそこ栄えたようだが、炭坑閉鎖後は住民のほとんどが去り、今では子供や赤ん坊まで含めて住民はわずか20数名。ところがそこに、ギャングと警察から追われるひとりの女が迷い込む。名前はグレース。彼女は村に自分をかくまってもらうかわりに、村人たちの仕事を手伝うという交換条件を出す。グレースの献身的な働きにより、村は少しずつ活気を取り戻していく。「君のおかげで村はよみがえった」とグレースに感謝する村人たちだったが……。

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『イディオッツ』で観る人を著しく不愉快な気分にさせたラース・フォン・トリアーの最新作は、ブレヒト&ワイルの音楽劇「三文オペラ」の挿入歌「海賊ジェニー」に触発されて生まれたヒロインの物語。村人たちに奴隷のようにこき使われ、性の慰み者になっていたヒロインが、最後の最後に復讐を遂げる残酷なおとぎ話だ。主演はニコール・キッドマン。アメリカが舞台の話だが、撮影はすべてスウェーデンで行われた。

 トリアー監督は今回この物語を、通常のセットが存在しない、抽象的な舞台空間に展開している。大きなスタジオの床に白線を引いて家や道路の境界線を示し、そこに最低限必要な家具だけを並べている。家には壁もなければドアもない。俳優たちは存在しないドアをパントマイムで開閉し、存在しない庭の雑草を引き抜き、存在しない犬にエサをやる。こうして日常空間とは別種の異世界を作ることで、この悲惨な物語が何とか「寓話」の枠内に収まるようになっているわけだ。この話をリアリズムでやられたら、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以上に不愉快な映画になったと思うけどね……。

 人間がどこまで浅ましくなれるか、身勝手に振る舞えるか、薄情で残酷な行為を他人に強いることができるかを徹底的に追求したドラマ。こうして人間性の暗部を暴き立てることに、トリアー監督はすこぶる熱心だ。きっと監督本人は、こうした人間の醜悪さと無縁のところで生活している人なんだと思う。だからこうして人間の醜さをあげつらい、もてあそぶことができる。テレビシリーズの「キングダム」などでは、そうしたトリアー監督の悪趣味ぶりがギャグに転じて笑いを誘っていたわけだけれど、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は笑えない。今回の映画も笑いはない。ただしラストに復讐のカタルシスがあって、一定のガス抜き効果は生まれている。もっともこの復讐に取りかかるまでが長い。ニコール・キッドマンとジェームズ・カーンの会話シーンが、少しもたついていると思う。

 セットを大胆に省いた舞台劇風の演出と、映画ならではの手法であるボイスオーバーを組み合わせる演出はユニークだが、劇中に観客が引き込まれていく興奮は味わえない。実験的な作風が、実験だけに終わっている映画ではないだろうか。

(原題:Dogville)

正月第2弾公開予定 シネマライズ、シャンテシネ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ
宣伝:ギャガGシネマ海
(2003年|2時間57分|デンマーク)
関連ホームページ:
http://www.gaga.ne.jp/dogville/

DVD:ドッグヴィル
関連DVD:ラース・フォン・トリアー監督 (2)
関連DVD:ニコール・キッドマン

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