エイリアン
ディレクターズ・カット

2003/11/04 オーチャードホール
(第16回東京国際映画祭)

SFホラーの古典となった『エイリアン』のディレクターズ・カット版。
船長が生きながら繭にされるシーンを本編に追加。by K. Hattori


 リドリー・スコット監督の出世作となった、1979年のSF映画『エイリアン』のディレクターズ・カット版。映像や音声がデジタルリマスターされた他、撮影されながらオリジナル版からカットされたシーンが一部復活している。最大の違いはエイリアンに捕らえられた船長が生きたまま繭にされ、脱出直前のリプリーに「殺してくれ」と懇願して焼かれる場面。これは今までにもLDやDVDの未公開映像集に入っていたようだが、今回初めて本編に挿入された。

 これにいよって映画終盤のテンポは少し落ちるのだが、おぞましい悪夢のようなイメージはより強調されている。「エイリアンに捕まることなく爆発までに船を脱出できるか」という一点にスリルとサスペンスを集中させたオリジナル版の演出も悪くないのだが、こうしたスリルは他のアクション映画でも無数に描かれているものだろう。『エイリアン』という映画に観客が期待しているものを考えれば、むしろ今回のディレクターズ・カット版の方がしっくりする。どうせ数分で船が爆発するのだから、あの時点で船長を焼き殺しても焼き殺さなくても、理屈の上ではそれほど大きな差があるわけではない。このシーンの有無は理屈を超えた、生理的な恐怖と嫌悪感を観客に押しつけることにある。このシーンがあることで、最後の最後にエイリアンが再登場するときには、背中に氷の固まりを放り込まれたように心底ぞっとさせられるのだ。

 映画はテレビや映画で何度も観ているものなので、ストーリーはおろかエピソードの組み立てや恐怖演出の詳細まですっかり頭に入っている。その上で改めてこの映画を観ると、つくづくその完成度の高さに驚かされるのだ。まず第1に美術セットが素晴らしい。本物の輸送船に乗り込んだようなリアリティがある。映画から登場人物たちの体臭が伝わってきそうです。映画は物語の上でも演出の上でも、コントラストの高さでドラマチックな効果を生み出している。光と闇、轟音と静寂のコントラスト。音楽が流れる場面と、現実音のみで描かれる場面の対比。エピソードの上では、平和な食卓の風景が突然阿鼻叫喚の地獄絵図になるといった具合。

 今回改めて映画を観ると、この映画が女性に対するレイプを描いたものであることがわかる。エイリアンのデザインが男性器をモチーフにしていることはよく知られているが、アンドロイドのアッシュがリプリーを遅う際、ポルノ雑誌を筒状に丸めて口の中に押し込もうとするシーンも露骨にそれっぽい。脱出に成功したリプリーが人工冬眠に備えて下着姿になると、突然暗闇からエイリアンがむくむくと起きあがるというのも同じ。船の中での男女関係も、平等に見えてじつは女性が軽く扱われている様子をきちんと描いていたりする。その後のシリーズではセクシャリティの問題がより深く掘り下げられていくことになるのだが、その原型はすべてこの1作目にあるのだ。

(原題:ALIEN)

2004年2月7日公開予定 ニュー東宝シネマ他・全国東宝洋画系
配給:20世紀フォックス
(2003年|1時間58分|アメリカ)
ホームページ:
http://www.foxjapan.com/movies/alien/

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