精霊流し
(しょうろうながし)

2003/09/17 映画美学校第1試写室
さだまさしの自伝的小説を『化粧師』の田中光敏監督が映画化。
松坂慶子が高島礼子の“妹役”とは無理がありすぎ。by K. Hattori

 シンガーソングライターのさだまさしが書いた自伝的小説を、『化粧師』の田中光敏監督が映画化。(同じ原作はNHKでも坂口憲二主演で連続ドラマ化されている。)長崎に生まれ育った主人公・櫻井雅彦は幼い頃からバイオリンを習っていたが、小学生になってからさらに専門的な音楽教育を受けるため、鎌倉の叔母の家に預けられることになった。叔母の節子は子持ちの男と結婚して、義理の息子・春人を育てているが、同じ年頃の従兄弟同士ということで、雅彦と春人はすぐ兄弟のように仲良くなる。だが成長した雅彦はいつしかバイオリンをやめて、自動車整備工場で働くようになっていた……。

 この映画の最大の問題はキャスティングだ。主人公を演じた内田朝陽もどうかなぁと思うけれど、それより観客を戸惑わせ、映画全体を混沌とさせているのは、主人公の母を高島礼子が演じ、叔母を松坂慶子が演じているというデタラメさだ。「叔母」というのは「父もしくは母の妹」のこと。この映画の中では、なんと松坂慶子が高島礼子より年下という設定なのだ。どう考えてみても、それはちょっと無理がありゃしませんか? ちなみにこのふたりの女優、実年齢では松坂慶子のほうが18歳年上。こんなもの、素直に役を入れ替えればいいじゃないか。主人公と母と叔母の関係というのは、この映画の大黒柱になるエピソードだ。この映画は大黒柱が斜めになっているのだから、その上にどんな屋根を乗せようと、どんな壁を作ろうと、全体が斜めに傾いているのは直らない。

 映画のもうひとつの中心となるエピソードは、雅彦・春人・徳恵の三角関係のドラマだ。しかしこれもまた、よくわからなくなっている。徳恵の雅彦への好意は伝わってくるし、春人がそんな徳恵の気持ちを察して雅彦に焼餅を焼く気持ちもわかる。しかし肝心の雅彦が徳恵をどう思っているのか、その気持ちがさっぱり映画から伝わってこない。雨の中で激しく雅彦に迫った徳恵の気持ちを十分理解しながら、なぜ雅彦は彼女から逃げてしまったのか? このシーンに説得力がなく、観ていてさっぱり納得できないから、その直後に徳恵が春人を受け入れるシーンも中途半端なものになってしまう。これじゃ徳恵は、雅彦でも春人でも、相手は誰でもよかったように見えてしまう。またラストシーンで、雅彦が徳恵の肩を抱くシーンもよくわからない。一度拒絶しておいて、なぜここでこうなるの? 結局この三角関係は、雅彦と春人の関係性が肝なのだ。それがうまく表現できていないから、徳恵があちらの男からこちらの男に平気で乗り換える、だらしがない女に見えてしまう。

 椎名桔平が演じる整備工場の社長のエピソードなど、面白いエピソードもあるにはある。主人公のぼろアパートに集まる仲間たちのエピソードもいい。全体として、昭和40年代の風俗をうまく再現しているとも思う。でも肝心要の部分がなぁ……。

9月13日公開 長崎先行ロードショー
11月上旬公開予定 テアトルタイムズスクエア他、全国
配給:日活、東北新社
(2003年|1時間49分|日本)
ホームページ:
http://www.shoronagashi.com/

DVD:精霊流し
原作:精霊流し(さだまさし)
主題歌CD:精霊流し(さだまさし)
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