奇跡

2003/08/08 アミューズピクチャーズ試写室
デンマークの農家で起きた信じられないような奇跡とは……。
死者の復活を描くカール・ドライヤーの代表作。by K. Hattori

 デンマークの映画監督カール・テオドール・ドライヤーが、1954年に製作したドラマ。原作は劇作家で牧師でもあったカイ・ムンクの戯曲。1943年にスウェーデンで映画化されたことがあり、ドライヤーの映画はその再映画化ということになる。

 裕福な農家のボーオン家は、主人のモーテンを中心に3人の息子とその家族が同居している。長男ミッケルの妻インガは3人目の子供を出産間近。モーテンの妻が亡くなっていることもあり、彼女は一家を精神的に支えている。三男アナスは働き者で家族思いの優しい青年。だが次男ヨハンネスは父親の期待を受けて神学を勉強した結果、精神に異常をきたして今では自分がキリストだと思い込んでいる。そんなモーテン家に持ち上がったのが、三男アナスの結婚話。だが両家の父親は互いに宗派が違うという理由で、この結婚に反対する。やがてインガの出産が始まるが難産の末子供は死産。彼女自身も亡くなってしまう。家族を悲しみが包み込む中、ヨハンネスは家を抜け出して行方不明。インガの葬式が行われる中、アナスの恋人アンネの父がボーオン家をたずね、若いカップルの結婚が急遽まとまることになる。行方不明だったヨハンネスは正気に戻って家に戻り、家族の目の前でインガを復活させる。

 この映画の前半で描かれるのは、宗教(宗派)の違いが人々を断絶させて不幸を呼びこむという現実だ。三男の結婚をめぐってふたつの家族が対立し、互いに相手を口汚くののしったり呪ったりする。(クリスチャンにとって「地獄に落ちるぞ」というのは最大の罵倒の台詞だ。)こうした対決の直後にインガの死産と死が位置づけられていることで、彼女の死はまるで両家の対立が生み出した不幸であるかのように見えてくる。彼女が生前、アナスとアンネの結婚実現のために心配りを見せていただけに、縁談の破綻とインガの死は否が応でも観客の心の中で強く結びついてしまう。

 映画後半では、信仰と奇跡の問題が大きなテーマになる。「奇跡ではなく医学が人を救うのだ」と言う医者。「奇跡など起きない」と断言する牧師。ふたつの家庭が和解した後、行方不明だった三男ヨハンネスは人々の不信仰を強く批判し、イエス・キリストの名によってインガを復活させる。既存の宗教や権威ではなく、一家の幼い娘が持つ素朴で力強い信仰の確信が復活という奇跡を生み出すのだ。

 ただしこの奇跡は、爆発的な歓喜を呼び起こすものではない。復活したインガ本人の表情から読み取れるのは、不安や戸惑いであり、何よりも自分が子供を失ったという悲しみだろう。彼女は復活したがゆえに、新たな悲しみを受け入れなければならなくなる。ここでは「死者の復活」という奇跡ですら、人間全体の幸福の中で相対化されてしまうのだ。復活の奇跡を目撃して人々がどう変化したのか、映画はまったく描くことなく終わる。ここに映画の問題提起があるのだろう。

(原題:ORDET)

《聖なる映画作家、カール・ドライヤー》
10月11日より 有楽町朝日ホール
10月28日より 東京国立近代美術館フィルムセンター
11月15日より ユーロスペース
主催:国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)、朝日新聞社
宣伝:ユーロスペース
(1954年|2時間6分|デンマーク)
ホームページ:
http://www.eurospace.co.jp/

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