アマロ神父の罪

2003/07/31 ソニー・ピクチャーズ試写室
主演は『アモーレス・ペロス』のガエル・ガルシア・ベルナル。
ハンサムなエリート神父と貧しい娘の恋の顛末。by K. Hattori

 若くてハンサムなアマロ神父が、メキシコの小さな町ロス・レジェスの教会に赴任してくる。司教のお気に入りである彼は、将来を約束されているエリート中のエリートだ。教区の責任者でもあるベニト神父のもとで見習いを始めたアマロは、教会で子供たちに教理を教えている美しい娘アメリアと親しくなる。彼女はハンサムで優しいアマロ神父に心惹かれ、やがてふたりは禁じられた関係に足を踏み入れてしまう。カトリックの聖職者は生涯童貞の誓いを立てている。教会内でエリート街道を歩んでいるアマロ神父にとって、アメリアとの関係は絶対に表沙汰にできないものだった。彼はこの関係を清算しようと決意するが、その直後にアメリアから妊娠を打ち明けられるのだった……。

 原作は1875年にポルトガルの作家エッサ・デ・ケイロスが発表した小説だが、映画はそれを現代のメキシコに置き換えている。若くてハンサムな神父と美しい娘の禁じられた恋がストーリーの中心ではあるが、映画の面白さはその周囲に散りばめられたさまざまなエピソードにある。大きなテーマになっているのは、中南米の貧しい社会とカトリック教会の関係だろう。キリスト教の本場である欧米諸国で教会の権威や発言力が年々低下しているのとは逆に、発展途上の国々ではキリスト教、特にカトリックが大きな社会勢力になっていることはよく知られている。中でも中南米諸国はカトリック教会の歴史が長く、政治的にも大きな力を持っている。カトリックの聖職者たちは社会的なエリート階級なのだ。

 あらすじだけを見ると「信仰と愛の間で葛藤する若い神父の苦悩」のような物語にも見えるのだが、この映画の中では「信仰」の問題があまり強くは押し出されていない。同じように神父の恋愛問題を扱った映画では、『司祭』や『僕たちのアナ・バナナ』は恋愛感情と信仰の関係性をテーマにしていたが、この映画のアマロ神父は自分の恋愛感情と信仰の間では悩まない。アマロが苦しむのは、アメリアとの関係が表沙汰になることで、自分が「選ばれたエリート」の地位から転落することなのだ。つまりアマロ神父の苦悩は、映画『陽のあたる場所』や『青春の蹉跌』の主人公たちと同類と言えるだろう。

 映画にはカトリックの聖職者の結婚問題、結婚を禁じられている聖職者が半ば公然と愛人を持つ問題、解放の神学、教会と政治のもたれあい、教会と犯罪組織の癒着など、カトリック教会をめぐるさまざまなエピソードが盛り込まれている。しかしそれより僕が面白いと思ったのは、ディオニシアという不気味な老婆の姿だった。この名前が既に異教的なもの(ディオニソス)を連想させるし、ミサで一度口に含んだ聖体を吐き出してネコに食べさせる(しかも黒猫)という行為も、聖体を汚す古典的な魔女像をなぞっているように思う。神父が魔女と結託するというイメージが、アマロ神父の行為をより不道徳に感じさせるのだ。

(原題:El Crimen del Padre Amaro)

10月公開予定 銀座テアトルシネマ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
(2002年|1時間58分|メキシコ)
ホームページ:
http://www.spe.co.jp/movie/worldcinema/

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参考図書:宗教と政治変動
参考図書:―ラテンアメリカのカトリック教会を中心に(乗浩子)

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