アイノカラダ

2003/07/18 映画美学校第2試写室
無名の若手女優たち6人が出演した5話のオムニバス・ストーリー。
どのエピソードも中途半端すぎて食い足りない。by K. Hattori

 20代からそろそろ30歳代にさしかかる6人の女性たちの姿を、オムニバス風に綴った映画。6人の中にはカップルが1組いるので、語られるエピソードは全部で5つ。これが1時間25分の映画になるので、エピソードひとつは平均17分ということになる。エピソードは個々に独立しながら、ひとつのエピソードの主役が別のエピソードに脇役出演したり、共通の脇役が出演したりして、全体としてはひとつの世界を作っている。オムニバス映画ではよくあるパターンだ。

 最近ではロドリゴ・ガルシアの『彼女を見ればわかること』や矢口史靖監督と鈴木卓爾監督の『パルコ フィクション』、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『アモーレス・ペロス』などが同じような形式だった。ただし本作『アイノカラダ』は、各エピソードの間で明確な時間の一致点が見出せないなど、同じ趣向の他作品に比べてだいぶ物足りないものとなっている。こういうのは脚本の段階で少し工夫すれば、それだけで完成した作品のグレードが一段上がるのだから残念だ。

 1つのエピソードが17分。しかしこの17分がやたら長く感じるのはなぜ? それは内容の密度が濃いからじゃない。5分か10分で語れる内容を、だらだらと水増ししているから長く感じるのだ。残念ながら僕は今回、5つのエピソードのどれひとつとして面白いと思えなかった。そもそもこの映画、登場人物がべらべらとおしゃべりし過ぎる。第1話の女性カメラマンが、ギャラリーのオーナーにダラダラと自分の心情を語り始めるくだりでもうウンザリ!なのだ。絵で観てわかることを、いちいち台詞で説明せずにいられない野暮ったさ。それはどのエピソードにも共通していることだ。そのくせ、各エピソードはどれも尻切れトンボ。どれもこれも、中途半端なところでプチリと途切れて、あとは知らん顔なのだ。

 物語を肝心なところで止めて、後に余韻を残すという手法はあってもいい。しかしその場合は、余韻の中で観客の気持ちが作り手の狙ったある結論に結びつくことが求められる。「みなまで言うな。言わなくともわかる」というところで話をピタリと止めるから、観客の気持ちは自然とある結論に向けて動き、そこでラストシーンがきれいに締めくくられるのだ。余韻のきれいな映画は、すべてそうなっていると思う。だがこの映画は物語の作り手自身が明確な結論を出せぬまま、ストーリーを途中で放り出してしまっているように思う。

 ラストシーンの写真群から、観客が何かを類推することはできるだろう。だがあの写真に、描かれなかった物語の核心を置き換えるだけの力はない。久保田利伸の音楽も同じことだ。音楽や写真で何とかなると考えていたのなら、それは脚本や演出の怠慢ではないのか。やるべきことを全部やってから、「あとは観客がご自由に解釈してください」と最後の判断を観客に委ねるべきだろうに。

秋公開予定 テアトル新宿(レイト)
配給:SPACE SHOWER PICTURES、スローラーナー
(2003年|1時間25分|日本)
ホームページ:
http://www.ainokarada.com/

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