月の砂漠

2003/07/02 メディアボックス試写室
家庭と仕事を失った男が最後にたどり着いた場所とは?
各シーンをもっと磨き上げてほしかった。by K. Hattori

 00年の『ユリイカ』でカンヌ映画祭の国際批評家連盟賞とエキュメニック賞をW受賞した青山真治監督が、その翌年に作った家族の再生ドラマ。01年のカンヌ映画祭に出品され、同年春のフランス映画祭横浜で招待上映されたにもかかわらず、その後は公開時期が決まらぬまま放置されていた作品だ。この映画をきっかけにして、青山監督と主演女優のとよた真帆が結婚するという話題もあったが、映画の公開そのものがここまで延び延びになってしまったのは、結局映画の内容そのものに問題があったからだと思う。ちょっと中途半端なのだ。

 崩壊した家族が再生していく物語だ。主人公の永井は学生時代の仲間たちとITベンチャー会社を立ち上げ、飛ぶ鳥を落とす勢いの青年実業家だ。学生時代から付き合っていたアキラと結婚し、ひとり娘のカアイも小学生になっている。マスコミからも若きカリスマとして引っ張りだこの永井だが、彼は今、手にしたすべてを失いかけている。仕事中毒の長居に愛想をつかして、妻は娘を連れて家を出た。永井の強引な会社運営に反発して有能な社員が次々に辞めて行くばかりでなく、羽振りのよさそうなイメージとは裏腹に、会社は倒産寸前という有様なのだ。そんな憂鬱な日々の中、永井は男娼をしているキーチという若い男に出会う。永井は彼に「妻を見つけて誘惑してくれ」と、奇妙な依頼をするのだが……。

 仕事人間が家族に捨てられるが、最後は家族のもとに戻っていく……という定型のストーリーではあるのだが、この映画では主人公・永井の会社経営も破綻しているというのがミソ。永井はすべてを失っている。そして永井は深刻なアイデンティティ・クライシスに見舞われる。テレビ番組や雑誌取材では己の理念や経営哲学を熱く語りながら、そのじつ彼の内面は空っぽでがらんどうなのだ。自分にとって大切なのは何だったのか? それは会社なのか? それとも家庭なのか? どちらに対する未練も断ち切れないまま、永井は世界を漂流し始めるのだ。

 物語はともかくとして、全体のタッチは観念的で象徴的。通常の「リアリズム」からは一歩は離れたところで、ドラマを組み立てようとする意図が見える。登場人物たちの「暮らし」に生活臭がまったくしないというのも、この映画の狙いだろう。妻子が出て行ってガランとした家。ホテルの部屋。ダンボールハウス。何年も住人不在だった野中の一軒家。生活のニオイを剥ぎ取られたこれらの舞台装置によって、「崩壊した家族の再生」という定番ドラマは、抽象画のような幾何学的コンポジションを獲得する。

 生活臭が抜け落ちたとしても、この映画には生身の人間が持つ猥雑さがまだ残ってしまっている。それが映画全体の臭みになって、すべてが中途半端に感じられてしまうのだ。個々のシーンにさらに磨きをかけて透明度が増していけば、この映画は3倍も4倍もいい映画になったと思うのだが……。

9月6日公開予定 テアトル池袋・他
配給:レントラックジャパン、パンドラ
(2001年|2時間11分|日本)
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