ぼくの孫悟空

2003/06/24 松竹試写室
手塚治虫の原作を夢枕獏が脚色した西遊記の物語。
物語は主人公たちの旅立ちまで。続編に期待。by K. Hattori

 手塚治虫が中国の古典「西遊記」を自由に脚色した漫画「ぼくの孫悟空」をもとに、作家の夢枕獏が脚本を書き、虫プロ出身の杉野昭夫と手塚プロダクションの吉村文宏が共同監督した長編アニメーション映画。ふたりとも今回の映画が初監督だというが、これがなかなか楽しい映画に仕上がっていている。

 原作の漫画は読んでいないのだが、今回の映画に関しては夢枕獏のシナリオがよかったのだと思う。「西遊記」は三蔵法師と孫悟空たちが各地で妖怪たちと戦いながら天竺を目指す物語だが、映画はその旅の過程をばっさりとカットしている。孫悟空が沙悟浄や猪八戒と共に、三蔵法師の弟子になったところで物語は終わるのだ。これは「西遊記」のプロローグ。大河ドラマでいえば、放送第1回目の1時間半スペシャルみたいなものだろう。だがここで物語をあっさり打ち切ることで、映画は孫悟空の誕生と成長を余すところなく描ききり、ドラマに1本筋を通している。

 花果山で巨大な岩から生まれた石猿は、若くして怪力と勇気を示して猿たちの王になる。さらなる強さを求める石猿は、仙人の弟子・孫悟空として仙術をマスターすると、いよいよ世界の王となるべく天上界に乗り込んで大暴れ。これを釈迦にとがめられて五行山に閉じ込められた悟空は、三蔵法師に助けられて彼の弟子になる……。物語自体はお馴染みの「西遊記」そのものだ。ところが映画は悟空の誕生に、ある暗い影を焼き付ける。じつは天上界支配を企てる腹黒い丹術師・崑崙が、己の野望の道具とするために作り出したのが孫悟空なのだ。孫悟空の誕生は、最初から呪われている。彼の誕生は誰が望むものでもなかった。孫悟空が生まれてこなかったほうが、地上も天上界も平和だっただろう。

 誰からも愛されずにこの世に誕生した孫悟空は、ひたすら「強さ」と「権力」を求めて暴れまわる。だが釈迦に出会い、三蔵法師の弟子となった孫悟空は、それまでの「強さ」と「権力」を求める生活を捨て去り、まったく正反対のモノのために活躍し始める。三蔵法師は天竺まで経典を取りにいこうとする立派な坊さんだが、およそ「強さ」や「権力」とは無縁の存在だ。孫悟空は彼に仕えることで、「この世の中で本当に大切なのは強さでもなければ、世間から認められることでもない」ということを知る。

 この映画のクライマックスは、崑崙に「お前も俺と同じ強さを求めたではないか?」と問われた孫悟空が「今は違うんだ!」と叫ぶシーンだ。崑崙の精神的なコピーとして作られた孫悟空は、ここで自分の誕生にまつわる暗い影から脱するのだ。
 
 物語としてはいよいよ三蔵法師一行の旅が始まるところで終わってしまうので、この後の孫悟空たちの活躍を見てみたい気もする。劇場公開が無理ならビデオ発売のみでもいいから、続編を作ってくれないものだろうか……。そんな期待を抱かせる作品です。

7月12日公開予定 シネ・リーブル池袋・他
配給:松竹
(2003年|1時間35分|日本)
ホームページ:
http://www.tezuka.co.jp/songoku/

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DVD:ぼくの孫悟空
サントラCD:ぼくの孫悟空
主題歌CD:Butterfly(今井絵理子)
原作:ぼくの孫悟空(手塚治虫)
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