D.I.

2003/02/18 映画美学校第1試写室
イスラエルとパレスチナの問題をパレスチナの視点から描いた映画。
面白いのかつまらないのかが、よくわからない。by K. Hattori

 昨年のカンヌ映画祭で、審査員賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞したパレスチナ映画。物語の主要舞台になっているのは、イスラエル北部の町ナザレ(イエス・キリストが30歳まで過ごした町だ)と、イスラエルによる占領が続くヨルダン川西岸地区の町ラマラ、そして紛争の中心地エルサレム。物語の中心は、エリア・スレイマン監督本人が演じる男と恋人、そして男の父親の3人。しかし映画のほとんどは、イスラエルとパレスチナの対立という政治状況から生まれるギャグに費やされている。

 エルサレムのパレスチナ人地区に住む男は、ラマラで暮らす恋人のもとを訪ねていくことができない。恋人も簡単にはエルサレムに入れない。ふたりが会うのは、ふたつの町の間にある検問所の駐車場だ。車の中で手と手を重ね合わせ、指と指をからめ合わせるのがふたりにとって唯一の逢瀬。そのふたりの前にある検問所では、毎日のようにイスラエル兵による理不尽な検問が行なわれている。男は何とかして彼女を自分の家に連れて行きたい。ある日、奇抜なアイデアを使って彼女を検問突破させることに成功するのだが……。

 物語はあるようなないような……。正直言うと、僕はこの映画の「お話」がよくわからない。どこまでが現実で、どこまでが幻想なのか。そもそも映画だからすべてが幻想なんだけれど、例えば検問所の前を颯爽と通り抜けていった女は何者でどこに向かったのか。男の前から姿を消した女はどこに行ったのか。こうした基本的なところが、僕にはまったくわからない。

 この映画がパレスチナ人の置かれている複雑な政治状況から生まれたことは間違いなく、映画の中で描かれるギャグも大半が政治的なメッセージになっているいように思う。検問所でのイスラエル兵士の横暴ぶりなど、ブラックユーモアたっぷりにカリカチュアライズされている。観光客に道を聞かれた警官が、逮捕したパレスチナ人に道案内させるシーンも、「エルサレムではユダヤ人の方がよそ者だ」という意味だろう。そもそも恋人同士が検問所の駐車場でしか会えないという状況そのものが、バカバカしいと言えばバカバカしいのだ。

 しかし僕はこの映画でちっとも笑えなかった。映画のウリになっているらしい、最後の「パレスチナ・ニンジャ」の場面も少しも面白いと思わなかった。監督の置かれた立場や映画の作られた状況から、この映画のスゴサについてあれこれ語ることもできるのかもしれない。でも僕にはこの映画が、そもそも最初から技術的に拙い物に思えてならないのだ。芝居のテンポやタイミングが、僕の笑いのツボをまったく刺激してくれない。どんなにアホなことをやっていても、それがただの悪ふざけにしか見えない。

 この映画がアカデミー外国語映画賞への出品を拒絶された理由についてあれこれ言われているが、そもそもこの映画は面白いんですか? 僕にはそれがわからない。

(原題:YADON ILLAHEYA - DIVINE INTERVENTION)

2003年4月中旬公開予定 ユーロスペース
配給:フランス映画社
(2002年|1時間34分|フランス、パレスチナ)
ホームページ:
http://www.bowjapan.com/

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DVD:D.I.
関連DVD:エリア・スレイマン監督

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