曖昧な未来、黒沢清

2002/12/20 映画美学校第2試写室
黒沢清の新作『アカルイミライ』のメイキング・ドキュメンタリー。
インタビューを通じて黒沢清の現在が見えてくる。by K. Hattori

 『CURE』や『回路』などの作品で世界から注目されている黒沢清監督の新作『アカルイミライ』の撮影現場を、『≒森山大道』の藤井謙二郎監督が取材したドキュメンタリー映画。出演してインタビューを受けているのは、監督の黒沢清監督、主演のオダギリジョー、浅野忠信、藤竜也、プロデューサーの浅井隆、野下はるみ、美術の原田恭明、衣装の北村道子など。

 『アカルイミライ』は今までの黒沢清作品に比べると、新規参入したスタッフやキャストが多い。例えば主演の男優3人は、全員が黒沢組初参加だ。こうした「初顔合わせ」が、結果としてはドキュメンタリー映画の製作に打ってつけの環境を作っていると思う。監督と初めて会った俳優たちは、「この監督はどういう人だろう?」と観察する。監督の意図を読み取ろうとするし、監督が何を求めているのか探ろうとする。この映画は撮影現場の取材を通して「映画監督黒沢清」の秘密に迫っていくのだが、こうした初顔合わせのキャストやスタッフの存在が、期せずして黒澤監督を注視し続ける目として働いている。

 もちろんこれを「黒沢清監督の人物ドキュメンタリー」として考えれば、黒沢組常連の哀川翔や役所広司といった俳優の言葉も聞きたいところだろう。だがこの映画では、特にその必要性をまったく感じさせないバランスの取れたインタビューになっていると思う。主演俳優3人のポジションが、新人(オダギリジョー)、中堅実力派(浅野忠信)、大ベテラン(藤竜也)という具合に、三者三様であることも功を奏しているのではないだろうか。黒沢清の映画監督としての歩みではなく、今現在の黒沢清を知るにはこれで十分だ。

 映画の中では黒澤監督本人が、映画『アカルイミライ』の製作意図や演出方法について語っている部分も多く、それが映画本編の最良の解説になっている。『アカルイミライ』は最近の黒沢作品にしてはわかりやすい映画だと思うが、それでもこうして監督本人の口から映画の注釈が得られるのは面白い。映画の中にある曖昧さやわかりにくさが、監督独自の人間観やリアリズムによるものだという部分は「なるほど」と思わせる。黒沢清の映画が持っている独特の雰囲気や独特の文体、ユニークな映像言語とでも言うべきものの真髄が、監督本人の口からぽつりぽつりと語られる様子はスリリングですらある。推理ドラマの最後の謎解きを見せられているような、軽い知的興奮が感じられさえする。

 僕がこの映画の中で一番面白く感じたのは、黒沢監督による映画の定義だった。大勢でひとつの映像作品を観る。そこで自分がその作品を面白いと感じたり、つまらないと感じたりする。それが映画! 大勢で観てこそ映画なのだというこの定義は、「映画はスクリーンの中にではなく、観客と観客の間に存在する」と言っているのだ。これはフィルムメーカーとしては、なかなか度胸のいる発言だと思う。

2003年2月公開予定 シネ・アミューズ他
配給:アップリンク
(2002年|1時間15分|日本)
ホームページ:http://www.uplink.co.jp/brightfuture/ambivalentfuture/

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