すべては夜から生まれる

2002/08/27 シネカノン試写室
甲斐田祐輔監督作品。主演は西島秀俊と甲田益也子。
倦怠期を迎えた二組のカップルが出会う。by K. Hattori

 映画は小さなカットとシークエンスの積み重ねから出来ている。そんな「映画」についてのごく基本的な事柄を、まざまざと思い出させてくれるのがこの作品だ。カットとカットのつながり。シークエンスとシークエンスの継ぎ目。その間にある密接な時空の連続性と、出し抜けに現れる時間と空間の大胆な飛躍。物語はよどみなく流れると見せかけて、時に立ち止まり、駆け足になり、場合によっては逆戻りする。映画の中の時間は、自由自在に引き延ばされ、縮められ、引きちぎられ、つなぎ直されていく。そしてそれらが総体として、「映画作品」の全体像を形作っていく……。

 物語には2組のカップルが登場する。西島秀俊が演じる売れない役者(むしろ自称役者と呼んだ方がいい)の山形と、甲田益也子扮する年上の同棲相手・優子。川口潤が演じるこれまた売れない画家の上原と、水沢蛍演じるその妻・綾。山形は仕事と称して家を出ると、何もせずに競馬場などで時間をつぶす。金がなくなると知り合いの紹介で土木工事のアルバイトをする。生活のほぼすべてを恋人の優子に依存しながら、彼は彼女を避けるように暮らしている。画家の上原は自宅を兼ねたアトリエで絵を描く時間になると、絵に集中するために妻の綾を部屋から外に追い出してしまう。綾は近くのカフェで夫が迎えに来るまで時間をつぶすのだ。このカフェで、山形と上原は出会う。

 要するにここに描かれている物語は、山形がカフェの前で出会った上原の妻を誘ってホテルで一晩を過ごし、それに嫉妬した上原が山形を刺すという、ただそれだけの使い古された情痴事件に過ぎない。しかし問題はその物語を、どう語っていくかということにある。山形と恋人の間に漂う馴れ合いと倦怠。上原と妻の間にある生活やつれしてやせ細った関係。おそらく優子は、山形が役者としての仕事などしていないことを知っている。あるいは彼の仕事そのものに、まったく何の関心も向けてはいない。「今日も仕事なの?」「ああ」という短い会話の中にある欺瞞。互いに相手の本心を知りつつ、それに対して堅く口を閉ざすことでのみ成り立っている人間関係。「俺の絵がもっと売れればアトリエを借りられるんだがな」と言う上原は、はたして売れる絵を描くつもりがあるのか。そもそも彼は夜ごとに妻を部屋から追い出して、本当に絵を描いているのか。「楽しいじゃない。毎晩別れて、毎晩よりを戻すみたいで」と答える綾は、この生活にうんざりしている。山形と綾の不倫(?)は、そうした日常から束の間逃避したいという願望の現れなのだ。それは恋ではない。欲望でもない。何かから逃れたいという後ろ向きな願望が、ふたりを動かす。

 映画の結末はやけに曖昧だ。瀕死の山形をひとり残して、女たちはどこかに立ち去ってしまう。彼が死んでしまえば何となくカッコウが付いた物語は、中途半端なまま断ち切られる。なんともやりきれない。

2002年11月公開予定 シネ・アミューズ(レイト)
配給:スローラーナー
(2002年|1時間19|日本)

ホームページ:http://www.kathmandu-trio.com/

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