ラストシーン

2002/08/26 メディアボックス試写室
中田秀夫監督による日本映画と映画撮影所へのオマージュ。
気持ちは痛いほどわかるが作品としては弱い。by K. Hattori

 『リング』『仄暗い水の底から』の中田秀夫監督が、韓国資本で一昨年撮った映画界のバックステージもの。物語は1965年の映画撮影所から始まる。二枚目の映画スターとして何本もの主演映画を撮ってきた三原健は、長年コンビを組んできたスター女優が引退したことで主演俳優の座から脇役へと転落。これに不満を持った彼は、撮影所を飛び出したきりそのまま芸能界から引退してしまう。それから35年後の同じ撮影所では、人気テレビドラマの劇場版が撮影されている真っ最中。薄っぺらな芝居しかできない出演者たち。時間とお金の帳尻を合わせることしか頭にないプロデューサー。さらには脚本もろくに読まず、具体的な演出プランもなく、スタジオの中で本番中に携帯電話を鳴らしても平気の平左という、撮影現場をなめきった素人監督。撮影所のスタッフたちはこれらテレビ人種を「お客さん」と割り切り、だらけた雰囲気の中で淡々と仕事を進めていく。そんな中にエキストラ同然の端役としてふらりと現れた老人こそ、往年のスター俳優・三原健だった……。

 日本の映画人口は昭和34年をピークにして、まるで坂道を転げ落ちるように減少の一途をたどっていった。この映画で主人公の三原健が撮影所を辞めた昭和40年は、もはや映画の凋落を押しとどめることが不可能なことは、誰の目にも明らかになっていただろう。映画は斜陽どころか、明らかな衰退産業だった。引退していく女優は三原に向かって「もう映画の時代は終ったのよ」と言い切る。この言葉はある意味では正しい。三原は「映画の死」と共に、映画界を去らねばならなかった。だが映画の魅力にとりつかれた男たちの活動屋魂は、産業として映画の死を越えて生き続ける。どんなにやる気のないだらけた現場でも、撮影所で働くスタッフたちの中には映画黄金期に培われた夢のかけらが今も生き続けている。映画だけが持ち得る「何か」は、撮影所という空間を通して、映画を目指す次世代の若者たちへと引き継がれていくのだ。

 中田監督は日活で助監督として働いていた「撮影所育ち」だ。この映画にはそんな中田監督なりの、映画への思いや撮影所という場所に対する愛着がたっぷりと染みこんでいる。その思いは映画の細部に宿る。小道具倉庫の情景。往年のポスターや記念の集合写真。倉庫になっている旧控え室。どんな仕事でも手を抜くまいとがんばる、キャメラマンや照明スタッフの映画人としての矜持。そのなかで夢と現実のギャップに苦しむ、下働きの若手スタッフたち。中田監督もかつて、そうした若者たちのひとりだったに違いない。

 だがこの映画、どうしようもなく脚本の構成が下手くそ。導入部が長すぎる。これは撮影所に三原老人がやって来たところから、回想シーンとして処理してもよかったはず。もちろんそれも検討したはずだが、脚本が練りきれないまま結局は時系列につないでしまったのだろう。

(原題:LAST SCENE)

2002年11月9日公開予定 テアトル新宿
配給:オズ、オムロ
(2002年|1時間40分|日本、韓国)

ホームページ:http://www.omuro.co.jp/lastscene/

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