そして愛に至る

2002/03/20 映画美学校第1試写室
映画監督ゴダールの主演映画。ゴダールがカメラの前で泣く。
監督・脚本・共演はアンヌ=マリー・ミエヴィル。by K. Hattori

 ジャン=リュック・ゴダール監督の公私に渡るパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルによる長編映画最新作。ゴダールの作品はどれも一筋縄ではいかない問題作ばかりだが、そのパートナーが作る映画もまた、一筋縄ではいかない映画だった。語り口は決して難しくない。ゴダールのパートナーが、ゴダールみたいな映画を撮っていると思うと、それは大間違いだった。ここに一組の夫婦がいる。その女友達がいる。彼らが集う部屋に、町で出会ったというひとりの中年男がやってくる。彼らは短いが刺激的な言葉を交わす。その言葉の中には、彼らの人生哲学が凝縮されているようにも思える。彼らは別れ、また再会する。時は流れる。人間関係には少しずつ変化がやってくる。その変化は直接目に見えないかもしれないが、決して後戻りできない変化なのだ。

 主人公夫婦をゴダールとミエヴィル監督本人たちが演じているのが、この映画の見どころのひとつ。彼らの日常生活がこの映画のままということは決してないだろうが、作家の作るものには彼らの生活の幾分かが必ず投影されてしまうものだ。この映画でゴダールがべそをかく場面を見て、思わずギクリとしない人がいるだろうか。あのゴダールが、生きている伝説とでも呼ぶべき映画監督が、今なおカリスマ的な人気を持つヌーヴェルヴァーグの巨匠が、カメラの前でブザマにメソメソ泣いている。ゴダールに対して確たる思い入れのない僕でさえ驚くのだから、おそらくこれは一部の映画ファンにとって、貿易センタービルに旅客機が突っ込む様子を生中継されたのに匹敵する映像的事件と言ってもいいだろう。ミエヴィル監督が、ゴダールを泣かせた! 『スタッフの私を見る目はまるで鬼を見るかのようでした』とミエヴィル監督自身は述べている。そりゃそうでしょうとも。

 場所がほぼ固定されていて、そこに数人の男女が出入りしては長大な台詞を語るという作り。これが明らかに舞台劇を思わせるし、作り手の側もそれを意識しているフシがある。主要人物が勢揃いして、主人公夫婦の部屋でワインを酌み交わすシーンの面白さ。人物が立ったり座ったりするその位置関係が、まるでパズルのように緻密に組み立ててある。だがこの映画ではこうした演劇的空間をカットで分断し、半ば強引に映画的空間に作り替える。ひとつのシークエンスでもカメラ位置は何度か変わり、観客は今目の前にあるものが「映画」であることを否応なしに意識させられる。フォーカスを極端に浅くした絵作りが多いことも、光学式のカメラが作り出す画面というものを意識させる効果を持っているはずだ。

 ゴダールとミエヴィル監督の共同作業は'70年代から始まり、かれこれ30年近い年月に渡っている。その間にはひとつの映画を共同で監督したことも、ひとつの映画の脚本を一緒に書いたことも、それぞれ別々に映画を撮って一緒に上映したこともあった。ミエヴィルの映画に、ゴダールが出演したのもこれが初めてではない。でもふたりが共に主演するのは、これが初めてだという。

(原題:Apres la reconciliation)

2002年GW公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:プレノンアッシュ

(上映時間:1時間14分)

ホームページ:http://www.godard.jp/

Amazon.co.jp アソシエイトDVD:そして愛に至る
関連書籍:ゴダール
関連DVD:ゴダール

Click here to visit our sponsor

ホームページ

ホームページへ