自殺サークル

2002/02/06 映画美学校第2試写室
新宿駅で起きた女子高生54人の集団自殺から始まるミステリー。
思わず背筋がぞっとする園子温監督のスリラー映画。by K. Hattori

 5月26日夜の新宿駅プラットホーム。会社帰りのサラリーマンと、お喋りに忙しい女子高生たち。いつも通りの見慣れた風景。だが列車がホームに滑り込んでくる直前、女子高生たちがホームに一列に並んで手をつなぐ。その数は54名。「いっせーのーせ!」のかけ声で、ホームから列車の前に飛び降りた彼女たちは、その数秒後には全員が血まみれの肉の残骸になっていた。同じ頃、ある病院の宿直看護婦ふたりが、警備員の目の前で投身自殺をはかる。ふたつの事件の関連は? 彼女たちはなぜ死んだのか? これは自殺なのか、事故なのか、それとも殺人事件なのか? 事件を捜査している警察に、謎めいたタレコミ電話がかかる。インターネット上にあるウェブサイトが、自殺者をカウントしているという。しかも事件がニュースで報じられる前に……。

 詩人で映画監督の園子温が、石橋凌、永瀬正敏、さとう珠緒、宝生舞、余貴美子、麿赤児その他のメジャーなキャストで撮った異色スリラー。映画前半は、次々に起こる不可解な集団自殺事件の謎を解くミステリー。なぜ自殺が起きるのか。現場で発見された、自殺者の皮で作った鎖が持つ意味は何なのか。インターネットの自殺者カウントサイトは誰が何のために作っているのか。警察にタレコミ電話を入れた「コウモリ」とは誰か。映画前半で味わうゾクゾクする気分は、映画『リング』を初めて観た時味わったものに似ている。一見バラバラに存在するものの背後にある、不気味な黒い影、その影を追おうとして手を伸ばしても、その影はするりと身をかわしてさらに闇の奥深くへと沈み込んでいく。影を追ううち、追っている自分自身が真っ暗闇の中にひとり取り残されていることに気づくのだ。これは恐い。

 物語は数々の謎を提示しつつ、映画中盤から別のモードに突入する。謎は謎として残されたまま、観客は一足飛びに映画のテーマに直面してしまうのだ。この飛躍を許せるか許せないかで、この映画の評価は決まると思う。この飛躍によって、観客は映画から難解な印象を受けるに違いない。僕も正直言って、このあたりはよくわからない。この飛躍部分を頭の中で補おうとしても、どうしても補いきれない部分が出てくる。どうしても不可解さが残るのだ。でも僕はこの飛躍を許してしまう。この飛躍部分を別の言葉で補っても、それによって面白い映画になるとは思えないからだ。この飛躍はこのままでいい。

 映画終盤で提示されるのは、「私が私であることの意味」という人間の根元に関わる事柄だ。「私」が誰かにとっての「私」である限り、その関係性が破綻してしまえば「私」には存在する意味がない。「私が死んだら誰かが悲しむ」という言葉は、「私」と「誰か」の関係性が失われた次点で無効になってしまうのだ。「私」が「私」にとってかけがえのない「私」として「勝手に生きる」ことができない限り、人間にとって生はリアリティのない虚像になってしまうのかもしれない。自殺を誘う敵は「誰か」ではなく、自分自身なのだ。

2002年3月9日公開予定 新宿武蔵野館3(レイト)
配給:アースライズ 連絡先:オメガ・ピチャーズ

(上映時間:1時間39分)

ホームページ:http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/9670/film/jisatsu/

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