寵愛

2001/11/30 シネカノン試写室
エロスを感じさせない愛と性の寓話なんてあり得るのか?
韓国映画もずいぶんオシャレになったものだ。by K. Hattori

 インテリア雑誌の1ページに出てきそうな、白一色で統一された清潔で簡素な部屋。暮らしているのは、若い小説家の男。そんな彼の部屋に、しばしば通ってくる若く美しい女がいる。女は小説家が取材で知り合ったヌードモデル。彼女は男の部屋を予告なしに訪れ、セックスして、翌朝には去っていく。女には別の恋人がいるのだ。一糸まとわずに抱き合って眠る朝のまどろみの中でも、恋人からの携帯電話が鳴りさえすれば、彼女はあっという間に服を着て部屋を飛び出していく。だが彼女と恋人の関係は幸福なものではない。喜び勇んで部屋を飛び出していった女が、酔いつぶれて小説家のもとに戻ってきたり、殴られて顔を腫らしていることもしばしばなのだ。小説家は彼女を愛している。だが彼女が不実な恋人を愛していることを知っているがゆえに、彼女が部屋を飛び出していくのを止めることができない。男は彼女が戻ってくるのを待ち続ける。戻ってきた彼女を抱きしめる。彼女は小説家といるとき、恋人との間では感じることのない安らぎを得ることができる。だがそれは恋ではなく、ただの慰安なのだ。彼女は小説家に愛されていることを十分に知り尽くし、その愛によって癒される自分を感じながらも、恋人からの呼び出しに応えてしまう。

 物語はほぼ主人公ふたりきりの間で進行する。舞台になっているのも、小説の部屋とその周辺に限定されている。きわめてシンプルで、ピュアなラブストーリーだ。しかし僕はこの映画に、あまり好印象を持てない。作り手の狙いはわかるし、面白いとも思う。しかし出来上がった映画は、まったくつまらなくなっている。物語から不純物を一切取り除き、ひたすらシンプルに、ピュアに精製していった結果、出来上がったのは「蒸留水」のように味気ないものになっているのだ。いくら純粋さを突き詰めたにしても、「蒸留水」のような恋愛映画は面白いと言えるだろうか。100%の蒸留水は不自然なものだし、口にしても美味くはないだろう。水を美味いと感じさせるには、多少のミネラル分やガスが含まれていなければならない。「不純物」の存在が水を美味しくする。それは恋愛映画についても同じことかもしれない。不純さのかけらもない恋愛や、不純さがまったく感じられないセックスに、人は感情移入できないのだ。

 大胆なセックス描写にかなり力を入れている映画らしく、ラブシーンには現代舞踏家が専門の振付師として付いている。これらのセックスシーンも、ひたすら「きれいきれい」な路線を狙っていて生々しさは一切ない。粘膜や粘液が触れ合う、ぐちゃぐちゃ、ネトネト、ぎとぎとした感じは排除され、さらさら、スベスベ、ふわふわ、せいぜいがシットリした印象で収まっている。確かにこれらのシーンはきれい。女性がひとりで観ても恥ずかしくないラブシーンだろう。女性誌に載っているヌードみたいな感じ。でもこうした「きれいきれい」なラブシーンは、心と肉体の離反という映画本来のテーマを打ち消してしまう。まぁこういう映画があってもいいけどね。

(原題:美人 La Belle)

2002年1月中旬公開予定 シネ・ラ・セット
配給:ギャガ・コミュニケーションズKシネマグループ 宣伝:LIBERO

(上映時間:1時間33分)

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/la_belle/

Click here to visit our sponsor

ホームページ

ホームページへ