元始、女性は太陽であった
平塚らいてうの生涯

2001/11/26 岩波シネサロン
「青鞜」の発起人として知られる平塚らいてうの生涯を、
羽田澄子監督が映画化したドキュメンタリー。by K. Hattori

 明治44年に創刊された日本初の女性雑誌「青鞜(せいとう)」の発起人であり、創刊号の発刊の辞で「元始、女性は実に太陽であった」と書いたことで知られる平塚らいてう(ひらつか・らいちょう)の生涯を追うドキュメンタリー映画。監督は『痴呆性老人の世界』『歌舞伎役者・片岡仁左衛門』の羽田澄子。平塚らいてうの名前は、中学や高校の日本史の教科書にも出てくるから多くの人が知っている。でも知られているのは雑誌「青鞜」と「元始、女性は太陽であった」という発刊の辞ばかりであり、彼女がどのような思想の持ち主で、どのような生き方をした人なのかということはあまり知られていないように思う。この映画はらいてうの誕生から死までを、彼女自身の自伝に沿って映画化している。自伝の中のらいてう本人の言葉をナレーションに使い、らいてう自身が自分の生涯を語るかのような構成だ。

 ドキュメンタリー映画に必要なのは、作り手が対象となるものをどう切り取るかという「視点」の確かさだと思う。この映画はそれを「らいてう自身の語り」に置いた。この映画は「平塚らいてう」という誰でもが知っているひとりの女性を取材しながら、彼女自身を明治・大正・昭和という「時代」の中で語らない。語りの中心はあくまでも彼女自身の中にある。彼女の視点を通して「時代」を語り、彼女自身の言葉で「女性」を語らせる。すべてが「平塚らいてう」という個人の視点で貫かれている、一人称のドキュメンタリー映画なのだ。

 こうした偉人伝の場合、ともするとその人の足跡が時代の中にどんな役割を果たしたのかを分析したり、今に残る影響力を評価したりしたくなる。その人物が生きた時代や社会の中で、個人と周囲の関係を相対的に描きたくなるのだ。「周囲はこんな状態だったけど、この人はこんなにユニークなことをしましたよ」と、回りの状態と比較しながら論じたくなる。「当時は今と違ってこんな時代だったのに、この人は今に通じるこんなことをしましたよ」と持ち上げたくなる。しかしこの映画は、あえてそうした相対化を禁じ手にしている。もちろん事件や出来事を最低限説明しているところはあるし、らいてうを知る関係者のインタビューは「今の視点」から描かれる。海外の女権論者の影響を語るところもある。しかしそれでも、この映画はすぐに「らいてうの視点」に戻ってくる。カメラはらいてうの視線を代弁するように、ずんずん前に進む。脇見はしても、寄り道はしない。

 この映画で僕が初めて知ったのは、平塚らいてうにとって「青鞜」の発刊の辞は、彼女自身が世の中に出ていく第一歩に過ぎなかったということだ。彼女はこのときに25歳。この発刊の辞ではじめて「らいてう」というペンネームを使っている。彼女はここから85歳で亡くなるまでの60年間を、女性運動家として生き抜いた。その全体像を、この映画は丸ごと描き出す。2時間20分という映画のボリュームより、そこに描かれているらいてうとう人物の大きさに圧倒される作品だ。

2002年3月下旬公開予定 岩波ホール
企画:平塚らいてうの記録映画をつくる会

(上映時間:2時間20分)

ホームページ:http://www.iwanami-hall.com/

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