《1st Cut 2001》
ドキュメンタリー・プログラム

2001/11/19 映画美学校第2試写室
映画美学校の生徒が作ったドキュメンタリー映画3本。
作り手は映画の前にまず自分を問うべし。by K. Hattori

 映画美学校のドキュメンタリー研究科生による作品を3本観た。清水浩之監督がいつの間にか「新しい歴史教科書を作る会」の会員になっていた父の姿を追う『GO!GO!fanta-G』。かつて小川プロの三里塚シリーズに感激して成田空港問題に深いこだわりを持っていた主婦・藤本美津子が、ビデオカメラを片手に現在の三里塚に出かける『ナリタ、私の裸の王様』。加瀬澤充(かせざわ・あつし)監督が、園舎も園庭もない幼稚園「あおぞら」を取材した『あおぞら』。正直言って、今回の3本はどれも非常に物足りなく感じた。以下、各作品についての簡単な感想を述べておく。

 「教科書問題」や「新しい歴史教科書を作る会」というテーマを、ごく普通の生活者の視線から描いた『GO!GO!fanta-G』は、「新しい歴史教科書を作る会」の会員になっていた父親を持つ30代の監督が、父親の話の聞き役に徹することで「新しい歴史」と称するものの幻想(ファンタジー)を暴き出していこうとする意図があるらしい。「新しい歴史教科書を作る会」の主張は確かに幻想だろう。しかし「歴史とは物語である」と断言する彼らとその支持者たちは、自らの主張が幻想であることを百も承知なのだ。だからそれを「あなた方の主張は幻想である」と批判しても意味がない。むしろ「そんな主張は幻想だ」と小馬鹿にする態度の方が、はるかに馬鹿馬鹿しいのだ。その馬鹿馬鹿しさを自覚しつつ、ひとつの家族の物語(つまりこれも幻想なのだが)としてこのドキュメンタリーが成立しているならまだしも、この映画は作り手の「幻想」についてはまったく無自覚なままであるように見える。これは社会派を気取って、作り手が自らの幼さをさらけ出してしまったように思う。

 『ナリタ、私の裸の王様』は、資料に「監督」の名前がない。あるのは「撮影・編集=藤本美津子」という名前のみ。この映画はドキュメンタリー映画を作るための「素材集め」だけで終わっている。この素材を出発点にどんな作品を作るかは、まだまだこれからだろう。ドキュメンタリー映画の中でテーマに対する答えを出す必要はないと思うが、この映画は答えに至る「問いかけ」すら見えてこない。作者の戸惑いだけが、カメラの前でふわふわと浮遊し続ける。まるで素人が旅先でカメラを回しているような、散漫とした印象だけが残る作品。そもそもこれを「作品」と呼ぶべきかどうか……。

 『あおぞら』は映画の前半と後半とでテーマが完全にずれている。子供たちと先生の話が、障害児とその母親の話になってしまう。監督がこの母子に入れ込む理由はどうでもいいのだが、テーマを踏み外してまで入れ込んでしまう監督の情熱に、監督本人がまったく無自覚だから困ってしまうのだなぁ。ドキュメンタリー映画は、撮影中にテーマがずれてくることもあると思う。しかしその「ずれ」があまりにも大きくなったら、作り手がそれを修復するなり、「ずれ」という現象そのものを作り手が弁明する必要があるのではないだろうか。

2002年1月19日公開予定 ユーロスペース
配給:映画美学校

(上映時間:2時間00分)

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