プラトニック・セックス

2001/11/06 シネフロント
飯島愛のベストセラー自叙伝を映画化。監督も脚本も女性。
脚本ダメ、役者ダメ、演出ダメ。生ぬるい青春映画もどき。by K. Hattori

 人気タレント飯島愛のベストセラー自叙伝を、『人でなしの恋』『デボラがライバル』『ダンボールハウスガール』の松浦雅子監督が映画化。脚本はテレビドラマで活躍中の森下佳子が書いている。主演は1万2千人のオーディションから選ばれたという加賀美早紀で、その恋人役はオダギリジョー。ベストセラーの映画化や、テレビドラマ版とのメディアミックス、初日から1週間に限って女子高生は千円均一の入場料にするなど、話題性は十分あったものの、映画は残念ながら大ヒットと呼べるほどの成績を上げられなかった。

 これはベストセラーの実績と飯島愛の人気におんぶした宣伝・パブリシティ計画の結果という以前に、映画の内容がヒットを呼ぶほど面白くなかった結果だと思う。この映画はそのタイトルや「R15」というレイティングほどには刺激的な場面がないし、物語もひどく古くさく手垢の付きまくった内容で終わっていると思う。家族からも友人からも見捨てられ、自分は誰からも愛されていないと絶望的な気持ちになった女子高生が家を出て、水商売やAVの世界に足を踏み入れるが、そこで本当に自分を愛してくれる人に出会って立ち直るというお話。レイプや援助交際、AV出演、中絶といったエピソードが続くものの、最後の最後に「やっぱり人生には愛がなくっちゃね」というオチを用意することが最初から見え見えの展開。携帯電話、ルーズソックス、茶髪などで現代風の装いはしているものの、こんなの30年前の不良少女映画とどこも変わっていないじゃないか。

 もちろんどの時代になっても、「青春ドラマ」を形成する中心部分は変わらない。風俗描写に流されて、その中心をおろそかにするのは愚かだと思う。しかし時代の風俗が、その時代に生きる若者のライフスタイルや考え方に大きな影響を与えているのも事実だろう。携帯電話がある現代には、携帯電話がなかった時代には考えられないライフスタイルがあるし、携帯電話があることで生まれる新しい人間関係だってある。そこに一歩でも半歩でも踏み込めないまま、この映画の脚本は成立しているのではないだろうか。女の子が携帯電話を持ったまま、簡単に家出をして生活していける世の中なのです。この映画はヒロインの数奇な運命をさらりと撫でただけで、そこから「時代」に斬り込んでいく気概がまったく見えない。なぜ今の時代に、AV女優あがりの飯島愛が人気を得て、その本がベストセラーになるのか。この映画はそれを少しでも本気で考えたことがあるんだろうか? 僕は飯島愛にもその本にも興味はないが、「プラトニック・セックス」という本がベストセラーになるという時代には興味がある。この映画は、そんな「時代」への興味がまったく見当たらないのだ。それが物足りない。

 脚本はまったくのメロドラマ。ヒロインは不幸だが、その不幸がどこから来たものなのか明らかにされていない。阿部寛演じる謎の慈善家など魅力的なキャラクターもあるが、主演ふたりに魅力はゼロだ。

2001年10月20日より公開 全国東宝洋画系
配給:東宝

(上映時間:1時間44分)

ホームページ:http://www.platonic-sex.net/

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