素敵な歌と船はゆく

2001/10/01 シネカノン試写室
大富豪の息子と街のチンピラやホームレスの交流。
映画のゆったりした流れが快感になる。by K. Hattori

 映画は現実の中ではあまりお目にかかれない不思議で満ちている。現実の世の中は必ずしもハッピーエンドになるとは限らないが、映画の中では仇敵が和解し、悪党は改心し、壊れかけた夫婦関係は修復し、放蕩息子は帰還して、すべては丸く収まるのが常だ。映画はそのように作られているものであり、観客もそうした結末を期待する。あまりにも映画が期待に添い過ぎるとそれが予定調和だと批判されることもあるが、批判される映画の多くは予定調和に至るまでのプロセスが下手くそなのだろう。予定調和のまったくない現実そのものを映画にしたって、そんなものは面白くも何ともない。結末で観客の期待を裏切ったとしても、それは「意外性の面白さ」であって、予定調和の否定ではないのだと思う。

 この映画は映画的な不思議と予定調和の世界が、じつに見事に描かれている。パリ郊外に広大な邸宅を構える大富豪夫妻とその息子ニコラが、この映画の主人公だ。ビジネスの世界で頭角を現し、毎日分刻みのスケジュールをこなす母親。仕事からすっかり足を洗い、屋敷の中で執事やメイドを相手に気ままな生活をしている父親。息子のニコラは大富豪の息子なのに街のチンピラやホームレスたちと親しくつき合い、皿洗いのアルバイトや街頭での物乞いのようなことまで何のためらいもなくやってのける。チグハグな夫婦と変わり者の息子。屋敷の主人と使用人たちの奇妙な関係。そんな不思議な世界が、いかにも映画的なのだ。王子と乞食が親友になるのは、おとぎ話や映画の中だけの世界。それが現実になるなんて事はあり得ない。あり得ないことがあり得るからこそ、そこに映画の面白さが生まれる。

 しかしこの映画のそんな面白さは、いささか予定調和が過ぎる。ほのぼのしていていい雰囲気だけれど、あまりにもよくできすぎているのだ。現実はもっと厳しく過酷なものなのではないのか。そんな疑問がふと頭をよぎる頃、この映画は予定調和が許されない現実の世界へと大きく傾いていく。「ああやっぱり、そんなにうまくいくはずがないのだ」「しょせん世の中はそんなものなのだ」と観客は失望する。夢のような世界は急速に色あせ、寒風吹きすさぶ現実がさらけ出される。しかしそれだけでは終わらないのが、この映画の面白いところ。最後にあっと驚くような逆転があって、映画は見事なハッピーエンドへと突き進んでいく。『素敵な歌と船はゆく』という邦題の意味がそこでわかって、思わずニヤリ。

 監督は旧ソ連出身のオタール・イオセリアーニ。映画は長回しが多用されているのだが、短いカットも含めて各カットのテンポやリズムを揃え、全体が均質なひとつの長い長いワンカット撮影のような雰囲気を作り出している。説明的なカットや台詞がまるでなく、カットバック手法なども使われていない。最初はそのあまりの飾り気のなさに戸惑うが、やがてこの淡々とした映画の流れを心地よく感じるようになる。ラストはきちんとハッピーエンド。やっぱり映画はこうじゃなくちゃね。

(原題:ADIEU, PLANCHER DES VACHES!)

2001年12月中旬公開予定 シネセゾン渋谷
配給:ビターズ・エンド

(上映時間:1時間57分)

ホームページ:http://www.bitters.co.jp/

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