「A2」

2001/09/21 徳間ホール
オウム真理教と住民の軋轢を通して見える現在の日本社会。
日本は滑稽な国だとつくづく思う。笑うしかない。by K. Hattori

 現在の日本に表現の自由はない。少なくとも商用マスコミの中に、表現の自由などまったく存在しないと言ってもいいだろう。メディアは読者の反発を招く言論や情報を雑誌や新聞誌面に載せないし、テレビもラジオも「世論」や「体制」に逆らった意見は述べない。自分が述べないだけでなく、そうした意見があることを紹介しようともしない。世論に逆らうことのない常識や良識だけが「正論」としてまかり通り、それ以外の意見は批判して押しつぶせるものなら徹底して攻撃し、相手に正当性が認められる場合は完全にその存在を無視して、この世に存在しないもののように扱う。マスコミは「中立」ではない。マスコミは世論に迎合するのだ。そして世論に「中立」などということはあり得ない。

 この映画は教祖逮捕後のオウム真理教(「アレフ」に改名)を教団内部から取材した、ドキュメンタリー映画『「A」』の続編だ。前作同様、この映画にはテレビや雑誌ではまず見られないシーンがたくさん出てくる。例えばオウム信者と地域住民のにこやかな談笑。監視テントに集まる住民が若い信者と世間話をし、彼らが自主退去をする時には涙ぐんで別れを惜しみ、記念に写真を撮り、オウムの出版物をくれとせがむ様子。例えばオウム反対運動に対するオウム側の柔軟で常識的な対応と、反対住民側の滑稽なまでに硬直した姿勢。反対運動側が信者の住居を訪れた時、どうぞ中でお話をと招き入れる信者に対し、反対側はうろたえ戸惑い、門の外まで逃げ帰って拡声器で紋切り型のシュプレヒコールを絶叫する。また警察の馬鹿げた警備ぶりと木っ端役人ぶりにも呆れるしかない。オウムと話し合いに来た右翼団体をさえぎり、オウム側が話し合いに応じる姿勢を見せても警察側がそれを絶対に認めない。施設内部の取材に来たジャーナリストを、警察が勝手に選別して追い返そうとする。

 前作ではもっぱら「オウムに対する警察の対応」が焦点になっていたと思うのだが、今回の映画のテーマは明確に「オウムと地域住民の対立」になっている。なぜ対立が起きるのか。その理由をマスコミは「情報開示しようとしないオウムに対する住民側の不安」と説明するだろう。でもこれは嘘だ。警察と行政はグルになって、地域住民とオウムの分断を図っている。オウムは過去のテロ事件を真摯に反省しているとは思えないが、それでも現状での信者の生活を守るため、地域住民や行政側との話し合いを求めている。だがそれを住民や行政は拒む。話し合いや情報開示によって現在のオウムに危険が存在しないことが明らかになれば、社会はオウムの存在を認めざるを得なくなるだろう。警察は法や人権を無視した取り締まりができなくなり、地域行政は信者の居住や就労や就学を認めなければならなくなる。

 オウムの問題では、日本社会が「我々とは異質な価値観」をどれだけ受け入れられるのかが問われている。オウムをテーマにした映画だが、この映画はオウムを通して我々日本人と日本社会そのものを問うている。

2002年春公開予定 BOX東中野
配給:「A」上映委員会

(上映時間:2時間13分)

ホームページ:http://www.mmjp.or.jp/BOX/

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