ホセ・リサール

2001/08/28 松竹試写室
フィリピン革命の精神的指導者ホセ・リサールの伝記映画。
英雄の素顔と内面に迫る3時間の大作。by K. Hattori

 1899年、フィリピンは16世紀以来続く宗主国スペインの植民地支配を脱し、アジアで最初の共和国として独立する。1896年に始まった独立派の武装蜂起を「フィリピン革命」と呼ぶが、その精神的な指導者として民衆に英雄視されていたのが、この映画の主人公ホセ・リサールだ。裕福な借地農家息子として生まれ、学業も優秀で海外留学の経験も持つエリート。フィリピン人にもスペイン人と対等な権利があることを主張し、フィリピン人がスペイン人に権利を認めさせるには教育が不可欠だと説いた社会改革論者。「ノリ・メ・タンヘレ」と「反逆」という2冊の小説によってスペインのフィリピン支配を糾弾し、新聞を発行してフィリピン人の民族意識を強め、独立の必要性を訴えた男。彼自身は革命組織と直接のつながりを持たなかったが、フィリピン革命勃発と同時に反乱の扇動者として逮捕され、形式的な裁判を経て処刑されてしまう。だがフィリピン人たちは今でも彼を独立の英雄としてたたえ、彼の名は公園や学校の名になっているほどだ。一部のフィリピン人は彼を「英雄視」することすら通り越し、「神格化」さえしている。リサールを救世主としてあがめる「リサリスタ」という新興宗教まで生まれているほどなのだ。

 生憎僕はフィリピンの歴史に疎く、ホセ・リサールの名前もこの映画で初めて知った。映画はリサールが反逆者として逮捕され、獄中で裁判を待つ間に自分自身の人生を回想するという形式。この映画は民族の英雄として讃え崇められ、一部では神様として拝まれてさえいるホセ・リサールを、国と民族の未来について悩むひとりの青年の姿に引き戻そうとしている。この映画の中心は、リサールの自問自答の繰り返しだ。なぜ彼はフィリピン社会の不正に目覚めたのか。なぜ彼は民族運動や独立運動へと引き込まれていくのか。教育によるフィリピン人社会の底上げを訴えていた穏健な社会改革論者が、なぜフィリピンの独立という急激な変化を求めるようになったのか。そうしたことを、リサールは獄中で自らに問いかけ、あるいは弁護士に向かって語っていく。この人物を革命の闘士として描くこともできただろうし、ひとりの思想家が政治や革命のダイナミズムに飲み込まれていく物語として描くこともできただろう。しかしこの映画にそうした派手さはない。彼がだまし討ちのように逮捕されるくだりや、彼の死後、革命運動がさらに過熱する話などを盛り込めば映画にはサスペンスが生まれ、派手なアクションシーンも作れただろう。しかしこの映画はあえてそうしたわかりやすい活劇要素を排除してしまう。

 監督は『ムロ・アミ』のマリルー・ディアス=アバヤ。主演は『ムロ・アミ』で漁師の親方を演じていたセサール・モンタノ。スケールの大きなアクション映画を撮ろうとすれば、撮れる能力を十分に持った人たちだと思う。しかしこの映画はあえて「血湧き肉躍る革命のドラマ」を目指さず、英雄と呼ばれる男の内面に迫っていく。きわめて誠実に作られた歴史ドラマだと思う。

(原題:JOSE RIZAL)

2001年12月15日公開予定 岩波ホール
配給:岩波ホール
(上映時間:2時間58分)

ホームページ:http://www.iwanami-hall.com/

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