美脚迷路

2001/06/25 松竹試写室
美脚フェチの集まる秘密クラブが舞台だがショーに説得力なし。
監督は『東京ゴミ女』『不貞の季節』の廣木隆一。by K. Hattori

 『東京ゴミ女』『不貞の季節』などで、人間のフェティッシュな欲望をチャーミングに描いて見せた廣木隆一監督の最新作。この映画はタイトルからもわかるとおり「美脚」に対するフェティシズムがモチーフのひとつになっており、一見するといかにも廣木監督向けの作品にも思える。だが出来上がった映画は全体がどこかちぐはぐで、作品としての焦点がどこにも合っていないような曖昧な印象しか残らなかった。なぜなんだろうか?

 この映画は廣木監督の前2作同様にフェティシズムの世界を描いてはいるが、その描き方はかなりネガティブなものになっている。『東京ゴミ女』ではヒロインのあさってきたゴミがカラフルなオブジェのように部屋に陳列され、まるでモダンアートのように見えた。『不貞の季節』ではSM描写にのめり込んでいく官能小説家の姿に、欠点むき出しの人間が持つ可笑しさと温もりが感じられた。でも『美脚迷路』の美脚フェチ描写には、そうしたポジティブな要素があまりない。美脚フェチは中年男たちの歪んだ性癖として描かれるし、最後のオチに至っては「美脚フェチは病気である」「その病気は死ぬまで直らない」「病気から解放されるために死ぬことは、本人にとって救済なのだ」と言わんばかりだ。『東京ゴミ女』も『不貞の季節』も、世間一般の良識を逸脱した行為の中から、人間の愛や優しさや愚かしさという普遍的なテーマを浮き彫りにしていたと思う。しかしこの『美脚迷路』では、フェティシズムがただの変態行為として描かれ、その評価は徹底してネガティブだ。

 主人公の加藤刑事は、子供の頃からの親友ふたりが会員制の秘密クラブ「MAZE」に美脚フェチの客を集め、夜な夜な怪しげなショーを繰り広げていることを知る。だが加藤はこの秘密クラブに、親友の竹内や七緒子が惹き付けられたと同じ、抗うことのできない妖しい魅力を感じただろうか? 少なくとも僕には、加藤が美脚フェチの甘美な世界に迷い込んだようには見えなかった。彼は常にこの異様な世界の傍観者でしかない。むしろその世界を嫌悪し、破壊する男として描かれている。美醜を超えたフェティシズムの別次元に、加藤はついに到達しないまま終わってしまう。加藤の価値観と、竹内や七緒子の価値観は、最後まですれ違ったままかみ合わない。

 この映画で一番がっかりしたのは、クラブ「MAZE」の売りであるはずの美脚ショーに、あまり説得力がなかったこと。鳥肌実が生脚の女たち(LUCKY LEGS)にボコボコに蹴りまくられてうっとりするわけだが、僕はこれを観ていて「おい、本当にその脚でいいのか!」と思ってしまった。それとも本格的な脚フェチの審美眼というのは、僕のような凡人とはどこかが根本的に違うのだろうか? ここで「うわ〜、きれいな脚のおねえちゃんたちだなぁ」と素直に納得できれば、「MAZE」の雰囲気もまた違ってきたと思うんだけどなぁ。

 出演者の中では歌手志望の少女を演じたひふみかおりが一服の清涼剤。主演3人よりずっと魅力的だ。

2001年8月25日公開予定 新宿ジョイシネマ(レイト)
配給:アースライズ 宣伝:スキップ

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