栄光へのあまりに狭き門

2001/06/21 パシフィコ横浜
(第9回フランス映画祭横浜2001)

セールスマン稼業の面白さと切なさを男たちの友情を絡めながら描く。
映画としてはやや中途半端だが面白いアイデアもある。by K. Hattori

 『24時間4万回の奇跡』でダメオヤジを演じていたブノワ・ポールヴールドの脚本・主演最新作。戸口から戸口へとチャイムを押して歩き、見ず知らずの他人に向かってあまり役に立ちそうにもない品々を売って歩くセールスマン。この映画はセールスマンの仕事ぶりを彼ら自身の視点で描いた、ちょっと悲しいコメディ映画。セールスマンを描いた作品にはアーサー・ミラーの有名な戯曲「セールスマンの死」があるが、これがフレデリック・マーチ主演で映画化されたのは今から50年も昔の話。最近の作品では、デヴィッド・マメットのこれまた有名な戯曲「グレンガリー・グレン・ロス」を豪華キャストで映画化した『摩天楼を夢みて』が思い出される。どうやらセールスマンの姿の中には、個人と社会の中で起きる悲喜劇が凝縮されていくものらしい。

 映画の序盤では、右も左もわからない新人セールスマンが、先輩たちの間で一人前に成長してゆく様子が描かれる。最初はドアの呼び鈴を押すことにさえ躊躇していた青年が、少しずつ先輩たちのやり方をまねて成長してゆく。てっきりこの青年が主人公なのかと思っていると、映画の途中から大きくクローズアップされてくるのが、セールスマン・チームのリーダーとして働くレジスという男の存在。彼は社長の娘婿である青年の口添えで、長年暖めていた仕事の企画を社長に提出する。それはまだセールス未開拓の南仏地域に、アメリカ流のセールス攻勢をかけることだった。これが成功すれば彼は社内で一目置かれるようになり、いずれは会社の幹部になる道だって開かれるかもしれない。レジスは仲間たちと共に、意気揚々と南仏に乗り込むのだが……。

 新人青年からレジスへの主役バトンタッチがあまりうまく行っておらず、それが映画全体を中途半端な印象にしているような気がする。レジスを途中から主役にするのなら、もっと早い段階で彼を登場させ、観客に強く印象づけておく必要があるはずだ。この映画では青年の悪戦苦闘時代が終わり、ようやくセールスマンとして独り立ちした青年に観客が素直に感情移入できるようになった頃、レジスが横からしゃしゃり出てきて主役の座を取り上げようとする。レジスに主役を渡すならすぐ渡してしまえばいいのに、この映画は「語り手」「狂言回し」としての青年に執着し、レジスを舞台中央にはなかなか寄せ付けない。レジスを脇役にするならそれでもいい。主役にするならそれも結構。どっちにするか、映画の作り手がはっきりさせてくれなくちゃ。

 レジスが愛してやまない映画『戦場にかける橋』がしばしば引用されるところが、この映画の面白い味付けになっている。劇中には様々な形にアレンジされた「クワイ河マーチ」がBGMとして使われている。単に映画を引用するのではなく、引用された映画がレジス個人の心象風景や心理描写に絡んでいくあたりは、映画ファンなら思わずニヤニヤしてしまうのではないだろうか。映画はそれほど面白くないが、このアイデアは面白かった。

(原題:LES PORTES DE LA GLOIRE)

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